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私の旅日記
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2010年
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貞祥寺
〜三重塔〜
長野県佐久市大字前山に貞祥寺という寺がある。
曹洞宗
の古刹である。
大永元年(1521年)、前山城主伴野貞祥が慶徳寺(埼玉県)の節香徳忠禅師を招いて開山。
石段と石垣
石段を登ると、「島崎藤村(小諸時代)旧栖の家」があった。
明治32年(1899年)4月、
藤村
は
小諸義塾
教師として小諸に赴任、小諸市馬場裏の
旧小諸藩士宅
に新家庭を構え、明治38年4月小諸義塾教師を辞するまで6年間をこの家で過ごした。
大正9年(1920年)、本間隆氏によって佐久市前山南に移転。
昭和49年(1974年)、藤村生誕100年に続く歿後30年を記念して解体復元。
貞祥寺惣門
承応2年(1653年)、建立。
貞祥寺最古の建物である。
貞祥寺山門
寛文12年(1672年)、建立。
覺皇寳殿
貞祥寺に瀬下玉芝の墓がある。
鶴叟玉芝居士
三重塔
江戸時代末期に建立されたもので、明治3年(1870年)に小海町にあった神光寺から貞祥寺に移築されたそうだ。
貞祥寺に「回天之碑」があった。
昭和19年、太平洋戦争年を重ねて苛烈となり、戦勢ようやく我に利あらざる時、憂國の至情に燃えて黒木博司少佐・仁科関夫少佐は第一特別基地隊に在りて、前代未聞必死必殺の水中特攻兵器人間魚雷を完成、もつて頽勢の挽回を計らんと〝回天〟と命名、徳山湾大津島に基地を定め、日夜一人一艦必殺の戦法・操縦訓練に励む。 黒木少佐は訓練に殉じたるも、同年11月回天特別攻撃隊菊水隊の先陣に立ちし仁科少佐以下敵前進基地ウルシー・パラオ・コッスル水道・ホーランジア・グアム・アブラ港に、また硫黄島・沖縄付近海域、中西部太平洋上に大津島〝光〟平生大神の各基地より出撃し、敵艦に体当り攻撃を敢行せり。
戦遂に利あらず、昭和20年8月兵を収むるまで戦没並びに殉職搭乗員の英霊百五十余柱、帰らざる潜水艦7隻、その乗員八百十余柱を数う。散華せし勇魂を迎慕し回天の偉業を後世に伝えんと、創始者仁科少佐の出身地佐久に永遠の世界平和を念じつつ、長野県出身者戦没並びに殉職搭乗員仁科関夫少佐・北村十二郎少尉・中島健太郎大尉・宮澤一信中尉の霊安からんことを祈念し、戦友相寄り「回天之碑」これを建つ。
昭和五十一年六月六日
長野県回天会
回天
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