このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記

小長井町の海〜「昭和十九年秋」〜
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諫早市小長井町小川原浦の国道207号沿いに「小長井治産」がある。

「小長井治産」に「 山頭火 」の句碑があった。


      教古稀となれども
      先生びて
      少年のごと梶谷覚先生

 小長井もよかった
   句   昭和七年二月二十七日山頭火
こゝに住みたい水をのむ

   命ながきことの
      喜風薫
         塚原仁先生

昭和7年(1932年)2月27日、佐賀県太良町で詠まれた句のようである。

 二月廿七日 風雪、行程七里、多良(佐賀県)、布袋屋(三〇・中)

キチガイ日和だつた、照つたり降つたり、雪、雨、風。……

第二十二番の竹崎観音(平井坊)へ参拝。

今日はお天気が悪くて道は悪かつたけれど、風景はよかつた、山も海も、そして人も。

此宿はよい、まぐれあたりのよさだつた。

  ・こゝに住みたい水をのむ

『行乞記(二)』

 昭和19年(1944年)11月21日、B29は零戦の体当たりによって小長井町井崎沖の海に墜落。

小長井小学校の傍に「昭和十九年秋」の詩碑があった。


   昭和十九年秋
木下和郎 作

わたしたちは やたらにわめき走りまくった
いっときもしゃべらずにはいられなかった
どんなにみごとに命中したか
銀の翼がどんなに輝いたか
いかに ゆっくり
落ちていったか
尾根を越え 部落を越えて 走ったのだ
みんなの証言は どこか すこしづつ
違っていた が
だれのことばも だれの言うことも
みんな信じられたのだ

尾翼だけが海面に突っ立っていた
トラックの上には すでに
引揚げられた飛行士がころがしてあった
どよめく群集に向って 髪の毛をつかみ
ぐいとあげられたその顔は 桜色の
少年のおもかげをもっていた
はじめて鬼畜をみた
やすらかな ねむりの姿勢だった
その頬に消防団員の平手がとんだ

わたしは少年飛行士となるはずだった
異郷の地に華と散るはずだった
わたしにはわたしのまぶたが
ぬれるようにかんじられた

木下和郎は小長井町出身の詩人。当時12歳「軍国少年」だった。

昭和42年(1967年)、「昭和十九年秋」を発表。

 太平洋戦争の時、多良山麓上空を飛行していたアメリカの大型爆撃機B29が日本の戦闘機(零戦)の体当たりによって小長井町井崎沖の海に墜落しました。

 この詩はその時のことがやさしく描かれています。

平成2年(1990年)没。

 平成5年(1993年)、小長井町内の元石材販売業馬渡廣雄氏は所有地に鎮魂碑を設置。

小長井町小川原浦の海


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