このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記

佐世保〜「五足の靴」〜
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JR九州佐世保線佐世保駅下車。

佐世保駅はJRグループ全駅中最西端の駅。


一期一會

すばらしい人生ではないかもしれない

しかし素晴らしい生き方はできる

佐世保市三浦町の国道35号沿いにカトリック三浦町教会があった。


明治32年(1899年)、谷郷町に佐世保教会設立。

昭和6年(1931年)12月、現在地に教会が完成。

佐世保市下京町の京町児童公園に「五足の靴文学碑」があった。


 明治40年(1907年)8月15日、 与謝野寛 、平野万里、吉井勇、木下杢太郎、 北原白秋 の5人は、唐津から佐世保に向かった。

 汽車から降りた五人は、予期に反して、この街の汚いのと淋しいのに驚きながら、平戸行きの汽船を尋ねて、海岸の方へ足を運んだ。石の橋を渡って直ぐの回漕店で聞いて見ると、若い者は港の彼方を眺めて、『ああ、最早出てしまいました』という。五人は仕方なしに、明日の船を待って宿屋に投じた。

「五足の靴」

「宿屋」は「京屋旅館」。京町児童公園の前にあったそうだ。

夜店公園にも「五足の靴文学碑」があった。


 明治40年夏、与謝野寛、平野万里、吉井勇、木下杢太郎、北原白秋の5人の歌詩人が九州旅行の途中、佐世保を訪れた。その旅行記が「五足の靴」である。5人は佐世保で1泊し、この地に夜店がたち並ぶ様子を見て、与謝野寛(鉄幹)が即興詩を口吟した。

ランプの明かり、カンテラの
灯かげ煙れるせりうりの
夜店の中に、一段と
聲はりあぐる瀬戸物屋。

「早來い、早來い、品物は
みんな廉か。」といそがしく
左のふときてのひらを
握りこぶしに打叩く

「この花いけは有田焼、
買はっせ、買はっせ、そら貮圓。
廉か。」と呼べど、群集は
冷然として澆り見る。

「貮圓、壹圓五十錢、
七十五錢、四十錢、
ああ、負けましょ、二十錢。」
赤き襷を汗ばしる。

わが賣る品のあたひをば
恥づる色なく、おのれから
下げて手を打つ、あはれなる
佐世保の街の瀬戸物産。

更にあはれむ。汝が妻は
死にか別れし、みそかをと
はたや逃げたる。三十の
男ざかりのやもめずみ。

後ろを見れば、竹たてて
夜露に吊すハンモック
眠りてありぬ、青白き
五才ばかりの娘の兒。

   明治四十年八月五日
      与謝野鉄幹

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