このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
平戸ザビエル記念教会
〜ザビエル記念像〜
平戸市鏡川の「寺院と教会の見える風景」の坂を上ると平戸ザビエル記念教会がある。
平戸ザビエル記念教会
昭和6年(1931年)、建設。
東洋の使徒、偉大な聖者として世界の人々に尊敬されているフランシスコは1506年4月7日スペインのナヴァラの貴族の子として生まれた。
彼はパリー大学在学中、「人は全世界を掌にすることができても、その魂を永遠に滅ぼすなら何の意味があるのか」という聖句を沈思黙考、人間の幸せは愛によって神に結ばれ祝福される生き方にあることを悟り、既に約束されていたパリー大学教授の位置と一切の名誉から離れ、同志とともに修道会(イエスズ会)を創立しキリストの教えを伝える一介の伝道者となった。
インド各地の伝道の後、1549年8月15日多難な航海を経て鹿児島に上陸、日本に初めてキリスト教とヨーロッパ文化を伝えた。
翌年聖師は平戸に来島、藩主・松浦隆信の歓迎を受け、教えを説き多くの信徒を得た。その後山口、京都などに伝道しながら、その間2度も平戸を訪れた聖師は余程平戸を愛していたのであろう。
ここに聖師の記念像を建立し1971年7月18日除幕祝別し、教会も聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂と改名された。
聖フランシスコ・ザビエル記念像
昭和46年(1971年)、建立。
平戸殉教者顕彰慰霊之碑
聖師ザビエルによって平戸に種まかれたキリスト教は驚異的に信徒の数を増やし、ザビエル来島の翌年(1551年・天文20年)には日本最初の教会がこの平戸に建立された。以来今日まで四百数十年の歳月を経たが、この間幾多の過酷な迫害もあり、1559年には宇野殿の家臣某は棄教を拒み、又マリアおせんという女性は主君から禁じられていた十字架の丘への参拝をやめないという理由で斬首された。この人たちが数多い日本のキリシタン殉教者の初穂である。
1587年、豊臣秀吉の禁教令発布で平戸の殉教者は激増した。度島・根獅子・生月・田浦・薄香・中江の島・川内浦等で殉教した信者の数は400人を越えると伝えられる。
尚、殉教地は大村・長崎西坂と違ってはいても世界のキリスト教から「聖人」に次ぐ、「福者」の称号で尊崇されている平戸出身の方々が多いのは特記に値するものであろう。
セバスチアン木村神父(日本最初の神父)(日本最初の修道士は平戸白石生まれのロレンソ)レオナルド木村修道士、アウグスチノ木田修道士トマス・ロザリオ、アントニオ・キューニ両神学生アントニオ木村、マリア・ガスパル籠手田などがそれである。
平戸教会では現在の教会献堂50周年に当たりこの碑を建て、殉教者=生命を捧げてキリストの証人になった人=の偉大な信仰をたたえ、子孫の模範とした。
平戸市
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