このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
昔の温泉
青根温泉共同浴場「大湯」
峩々
(がが)
温泉
から蔵王エコーラインを下り、青根温泉に行ってみる。
海抜600m。
青根温泉は1528年に発見され、1546年に湯小屋が開かれたそうだ。
大正10年(1921年)9月7日、
与謝野晶子・寛
は青根温泉「不忘閣」に泊まっている。
大正13年(1924年)9月6日、与謝野晶子・寛は青根温泉に2泊している。
青根湯の湯守の館の白き倉さて蔵王山かなたは出羽
青根の湯阿武隈川を船渡りして来しと云ふ世のここちする
碧瑠璃の川の姿すいにしへの奥の太守の青根の浴槽
『心の遠景』
昭和3年(1928年)7月19日、
荻原井泉水
は青根温泉に泊まっている。
青根というのは不忘山の中腹にある温泉で、昔は仙台侯の別邸青根御殿のあった所、土地は極めて辺鄙だが、その御殿跡に建てた宿は大きくて、のびのびとしており、温泉は滝をなして落ちるほど豊富であり、宿の二階から太平洋の水の色と金華山を展望し得るのご珍しいのであった。
『随筆芭蕉』(短夜の空も明くれば)
今では忘れ去られたような温泉町だった。
共同浴場「大湯」があったので、入ってみる。
料金は150円。
お金を箱に入れたが、本当はお店で入浴券を買って、券を入れるのだった。
男湯と女湯の仕切りはあるが、あまり高くないので、見えてしまう。
気持ちのいい夏の雲。
近くに野鳥の森公園があり、「影を慕いて」の歌碑がある。
「影を慕いて」は、古賀政男氏が明治大学の学生時代、青根温泉を訪れた時に作られたという。
野鳥の森公園から晴れた日には大平洋も見渡せるそうだ。
昭和9年(1934年)11月、
吉植庄亮
は青根温泉「佐藤旅館」に泊まった。
青根温泉、佐藤旅館にて
惜しみなき木口に建ちてしづけくも古りにけるかも山の温泉宿
(ゆやど)
は
『風景』(みちのく抄)
「佐藤旅館」は現在の「不忘閣」。
須賀川
に向かう。
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