このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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昔の温泉  ・  長野

戸倉上山田温泉「笹屋ホテル」
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  池ノ平 から湯の丸高峰林道で県道94号東部嬬恋線まで戻り、湯尻川に沿って県道94号東部嬬恋線を下る。

鹿沢温泉新鹿沢温泉 を過ぎて、国道144号に入り、上田に向かう。

国道18号に入り、戸倉上山田温泉へ。

戸倉上山田温泉


 昭和2年(1927年)9月、 志賀直哉 は戸倉温泉「笹屋ホテル」逗留中に「豊年虫(ほうねんむし)」を執筆した。

「えらい豊年虫だぜ。恰(まる)で雪のようだ」今まで黙っていた運転手が前を向いたままいった。みんな窓の外を見る。橋には二十間おき位に電柱が立ってい、それに電灯がついていた。そして此処でも無数の蜉蝣(かげろう)がその灯の周りに渦巻いていた。

戸倉上山田温泉 「笹屋ホテル(HP)」 の「別荘」は本格的数寄屋造り。

昭和7年(1932年)の建築で、70年の時を刻んだ登録有形文化財。

「笹屋ホテル」の「別荘」は今年の9月から「豊年虫」として開業。

部屋の前の庭


 通年30,000円(税別)だが、開業記念で10月15日まで25,000円にて「ご優待」。

 豊年虫とは蜉蝣(かげろう)こと。蜉蝣をたくさん見る年は豊作になると言われているそうだ。

 蜉蝣など、あまり見たことはないが、この辺りでは今でも大量発生することがあるという。

池の鯉


庭の薄(すすき)


奥に見えるのは「奥別荘」。

(すすき)の葉に蜻蛉(とんぼ)が留まった。


部屋にもお風呂が付いている。


部屋のお風呂も温泉。

奇数月はAM3:00まで大浴場「石の湯」。

泉質は単純硫黄温泉(アルカリ性低張性高温泉)。泉温は49.3℃。

大浴場の外に「石の湯」露天風呂。


AM4:00に男女が入れ替わり、大浴場「木の湯」。

朝、大浴場「木の湯」に入る。


大浴場「木の湯」だけは蛇口のお湯も温泉。硫黄の臭いがする。

「笹屋ホテル」の湧出量は毎分300リットル。

中庭に四賀光子の歌碑があった。


竹植えて石を敷きつめこの庭や浄らに朝の雨にぬれゆく

四賀光子は太田水穂の奥さんである。

 明治45年(1912年)、 太田水穂・四賀光子 夫妻の仲人で 若山牧水 と太田喜志子は結婚。

 大正13年(1924年)1月5日、太田水穂を囲んで「潮音社および信毎歌壇短歌会」の会があり、51名ほど「笹屋ホテル」に宿泊しているそうだ。ただし、この時に詠まれた歌ではないようだ。

 昭和42年(1967年)、歌碑建立。

 昭和51年(1976年)、四賀光子は91歳の高齢で亡くなった。

夫妻の墓は鎌倉の 東慶寺 にある。

四賀光子が亡くなる9年前に歌碑が建てられたことになる。

四賀光子が「笹屋ホテル」詠んだ歌はもう一首あるそうだ。

三十年今日見る庭は白樺の木のま明るく石ぬれている

「笹屋ホテル」の玄関


駐車している車は「笹屋ホテル」にふさわしくない。

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