このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

これまでの温泉

浅虫温泉「椿館」
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青い森鉄道浅虫温泉駅下車。

今日は 「麻蒸湯札」 で浅虫温泉 「椿館」 (HP)のお風呂に入ることにする。

棟方志功   文化の小径

1903.9.5—1975.9.13

 青森県青森市生まれ。20世紀の美術を代表する世界的版画家。彼は版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。棟方志功は海・山の眺めが良い浅虫に好んで滞在していた。論集「板散華」では、浅虫の自然や町並みの魅力が記述され、浅虫を楽しんでいる様子がうかがわれる。1963年夏の滞在時、浅虫観光ポスター用として風景画を描いた。原画は定宿だった「椿館」玄関に展示されている。

浅虫へ海も山も温泉も


 世界的板画家棟方志功画伯氏は昭和16年38歳の時から蛯名家十七代伊右衛門椿館々主と親交を深め昭和20年〜26年までは富山県福光町の方へ疎開しておりましたがその後もまた毎年のようにおいでになって作品を制作しておりました。

 この作品は当時の観光協会の依頼により昭和38年にころび山で制作した作品で館内に原画が展示されております

「椿館」玄関


椿の湯由来

 大化2年(658年)阿倍比羅夫が蝦夷討伐を行った頃、この浅虫温泉は小さな寒村で人の往来も希な土地でした。嘉保5年(1100年)当館の先祖がここ浅虫に移り住み、湧出る自然そのまゝに湯元である源泉の保護管理に務めておりました。

 建久元年(1190年)円光大師(法然上人)が東北巡教の際浅虫のお湯の効用を村民に教えたのが浅虫での温泉入浴の始まりでした。

大浴場


 源泉名は椿の湯(1号泉・2号泉・3号泉・4号泉・5号泉・6号泉・7号泉・8号泉・9号泉の混合泉)。

 泉質は単純温泉(低張性弱アルカリ性高温泉)。pH8.77.泉温は74.5℃。

掛け流しである。

露天風呂


流れていなかった。

  太宰治 は『津軽』で「津軽に於いては、浅虫温泉は最も有名で、つぎは 大鰐温泉 といふ事になるのかも知れない。」と書いている。

青い森鉄道浅虫温泉駅


これまでの温泉


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