このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

蔦温泉「蔦温泉旅館」
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田代平湿原 から県道40号で国道394号に戻り、右折して谷地温泉に向かう。

左折して国道103号に入り、 蔦温泉 (HP)へ。


 20年以上も前に蔦温泉に来たことがあるが、大町桂月のこと以外ほとんど覚えていない。

正面玄関は大正7年(1918年)築。
正面玄関

もちろん、記憶にはない。

日帰り入浴は400円。

明治39年(1906年)1月4日、河東碧梧桐は蔦温泉を訪れた。

 温泉守は疾く山を下りた。ここに某氏の鮭鱒の艀化場がある。それを守る小屋に人が二人住んでおるきりじゃ。 焔々と榾(ほた)を焚いておる処へ飛び込む。先ず生きた心持になる。長々と温泉に暖まって、榾(ほた)の烟らぬ方に陣取って大胡座をかく。頭の毛から足の爪のさきまでほこほこする。持って来たビールの栓をつつき壊して、飯茶碗でグイグイ飲む。山男にも若者にも一杯ずつ分ける。天下にこれ位愉快な事はないような気がする。七本も八本も榾を積み重ねて、自在も焼けるほど尚焚きに焚く。


蔦温泉は 大町桂月 (1869〜1925)終焉の地。

大町桂月の歌碑がある。
大町桂月の歌碑

ここちよさ何にたとへん湯の瀧に肩をうたせて冬の月見る

歌碑の脇に丘虎尾(おかとらのお)が咲いていた。
丘虎尾(おかとらのお)

「泉響の湯」には2、3人が入っていた。

内壁は青森ヒバ。ブナの底板の隙間から湯が湧きあがる。

だから源泉100%で、掛け流し。

「久安の湯」は男性用。女性は気の毒だ。

蔦温泉は久安3年(1147年)には湯治小屋があったという。

裸で寝そべっている人がいる。写真どころではない。

泉質はナトリウム・硫酸塩・炭酸水素塩・塩化物泉。泉温は43.8℃。

大町桂月の像がある。
大町桂月の像

大町桂月は蔦で2度の冬ごもりをしている。

大正14年(1925年)3月には蔦に本籍を移した。

大正14年(1925年)6月10日、没。

 大正14年(1925年)9月15日から29日まで 与謝野晶子 は奥羽の旅をする。旅の途中で大町桂月を偲んで歌を詠んでいる。

桂月の御墓の立ちし蔦の山奥入瀬川もあまぐもの奥

桂月のいます世ならで今日逢へる蔦の温泉の分れ道かな

『心の遠景』

 昭和24年(1949年)8月、 中村草田男 は蔦温泉を訪れている。

   蔦温泉にて 二句

桂月晩年眼鏡さはやかなりし此所

谷湯宿屋根を繕ふひびかして

   同温泉附近の桂月翁墓域にて 二句

殘暑の墓老若男女遠拜み

きりぎりす同音重ね桂月調


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