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私の旅日記2015年

湯平温泉〜種田山頭火〜
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湯平温泉は「種田山頭火ゆかりの地」だというので、立ち寄ることにした。


橋本入口の駐車場に車を停める。

石畳入口に種田山頭火の句碑があった。


しぐるゝや人のなさけに涙ぐむ

昭和5年(1930年)11月10日、 種田山頭火 は湯平温泉「大分屋」に2泊。

平成16年(2004年)11月4日、第13回全国山頭火フォーラム湯平開催記念に建立。

こゝ湯平というところは気にいった。

いかにも山の湯の町らしい、石だたみ宿屋、万屋、湯坪、料理屋等云々、おもしろいね、・・・・・・・

此の温泉はほんたうに気に入った。

山もよく水もよい、湯は勿論よい、宿もよいという訳で、よく飲んでよく食べて、よく寝た、ほんとうによい一夜だった。

種田山頭火 『行乞記』 より

湯平温泉街の石畳


花合野(かごの)


「銀の湯」の裏の橋を渡ると、山頭火ミュージアム「時雨館」があった。


山頭火ゆかりの地

 昭和五年十一月十一日晴、時雨、初霰

山峡は早く暮れ遅く明ける、九時から十一時まで行乞…午後は休養、流れに入って洗濯する、そしてそれを河原に干す、それまではよかったが、日和癖でざっと時雨てきた。私は読書していて、何も知らなかつたが(谿声がさらさらと響くので)宿の娘さんがそこまで走って行って持って帰って下さったのは、じつさい有難かった、今夜は飲まなかった、財政難もあるけれど飲まないでも寝られた程、気分が良かったので良く寝た。(それでも夢を見る事は忘れなかつた)

   「時雨るるや人のなさけに涙ぐむ」

種田山頭火(1882〜1940) 『行乞記』 より

温泉街を抜け、見晴らし入口から「菊畑公園」へ行く。

ここにも種田山頭火の句碑があった。


うしろ姿のしぐれていくか

昭和6年(1931年)12月、熊本県から福岡県に抜けてから詠まれた句。

「鉄鉢の会」第1回巡演 宮本研 追悼

宮本研作 高山図南雄演出 うしろ姿のしぐれてゆくか

昭和63年9月14日 大分公演

「鉄鉢の会」大分実行委員会では大きな反響を呼んだこの公演の意義を思い関係者相図り本事業の一環として眺望絶佳のこの地を選定句碑建立を以って山頭火大分公演の記念とするものである

   昭和63年12月吉日

夏草に覆われて、訪れる人もないようだった。

菊池幽芳の歌碑もあった。


山ぎりは深く立ち込め水の音はいよいよ高し雨の湯平

菊池幽芳(きくちゆうほう)

昭和9年4月に 野口雨情 と湯平を訪れ、この歌を詠んだ。

●明治3年(1870年)10月27日、茨城県水戸市生まれ。
●小学校教師を経て、大阪毎日新聞社に入社。後に小説家となる。
●文芸雑誌『大阪文藝』を創刊。
●処女作『鴬宿梅』
●「大阪毎日新聞」に『己が罪』『乳姉妹』を連載して名声を得る。
●「家庭小説」というジャンルを確立。
●昭和22年(1947年)7月21日、満76歳没。

菊池幽芳は知らなかった。

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