このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
〜
2013年
〜
土佐稲荷神社
〜其角の句碑〜
大阪市西区北堀江に土佐稲荷神社がある。
土佐稲荷神社
主祭神は宇賀御魂大神。
当社の創建は古く、天正年間(安土桃山時代)、大阪城の築城に際し、運搬されていた石に只ならぬ畏きものがあり、これをお祀りしたのが始まりとされる。爾来その霊験あらたかなることが各地に広がり、航海安全の神として遠く西国などより多くの参拝者があったと記録にある。
享保2年、六代目土佐藩主山内豊隆は、伏見稲荷大社より御分霊を戴き合祀して後、土佐稲荷神社と称するようになった。
三菱の創始者岩崎彌太郎は此の地で会社を興した事で知られているが、特に日頃より当社を篤く敬い、繁栄の守護神とした。
社殿の左手に
其角の句碑
があった。
明星や櫻さためぬ山かつら
『五元集』
に「芳野山ふみして」とある。
貞享元年(1684年)、李渓宛其角書簡に
明星や桜さだめぬ山かづら
この句、しばらく、人には御沙汰御無用に下さるべく候
とある。
貞亨5年(1688年)1月25日、芭蕉宛其角書簡に
明星やさくら定めぬ山かづら
如何可
レ
有
二
御ざ
一
哉。
とある。
貞亨5年(1688年)3月、棋角宛芭蕉書簡に
明星やさくらさだめぬ山かづらと云し句、山中の美景に気圧され、古き歌どもの信を感ぜし叙
(ついで)
、明星の山かづらに明残るけしき、此句のうらやましく覚候也。
とある。
近くいはゝ先年明星やさくら定めぬ山かつらと云し句当座にはさのみ興感せさりしを芭蕉翁吉野山にあそへる時山中の美景にけをされ古き歌ともの信を感ぜし叙
(ツイテ)
明星の山かつらに明残るけしき此句のうらやましく覚えたるよし文通に申されける是をみつからの面目になしておもふ時は満山の花にかよひぬへき一句の含はたしか也
『句兄弟』
嘉永4年(1851年)、建立。
私の旅日記
〜
2013年
〜に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください