このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
本光寺
〜種田山頭火〜
松浦鉄道楠久駅下車。
伊万里市山代町楠久に本光寺という寺がある。
本光寺小史
當山は室町時代のくすく城址内にあります。大陸との古い関わりから山号を太明山と呼称してきました。
元和2年(1616年)くすく五院(本光寺 本覚寺 佛積寺 大園寺 大行寺)を統合、元和4年(1618年)藩祖直成公の請いにより松浦党下の不鉄禅師が日峰山宗智寺(佐賀市旧多布施城址)を開創された由縁で末寺に加えられ、
曹洞宗
になりました。
寛文3年(1663年)より明治4年(1871年)7月まで、當山は鍋島水軍の鎮守社司宰、御船方休憩所、楠久六区の邑会所を勤めました。
駐車場に「ふくろ地蔵」があった。
お地蔵さんもあたたかい涎かけ
山頭火の句である。
門前に「東井義雄先生碑」があった。
太陽は
夜が明けるのを待って
昇るのではない
太陽が昇るから
夜が明けるのだ
東井義雄は兵庫県豊岡の浄土真宗東光寺住職。
平成3年(1991年)4月18 日、没。
テレビ朝日のドラマ『相棒』の「赤いカナリヤ」の言葉で「
夜が明けたから目覚めるのではない。目覚めたときに夜が明けるのだ。目覚めぬ者に、夜明けは来ない
」というのがあった。
右手の坂を上ると山頭火の句碑があった。
何やら咲いている春のかたみに
昭和7年(1932年)4月7日、
種田山頭火
は長崎から県界を越て佐賀へ。楠久に泊まる。
曇、憂欝、倦怠、それでも途中行乞しつゝ歩いた、三里あまり来たら、案外早く降りだした、大降りである、痔もいたむので、見つかつた此宿へ飛び込む、楠久、天草屋(二五・中)
今日は県界を越えた、長崎から佐賀へ。
どこも花ざかりである、杏、梨、桜もちらほら咲いてゐる、草花は道べりに咲きつゞいてゐる。
食べるだけの米と泊るだけの銭しかない、酒も飲めない、ハガキも買へない、雨の音を聴いてゐる外ない。
お地蔵さんもあたたかい涎かけ
汽車が通れば蓬つむ手をいつせいにあげ
・何やら咲いてゐる春のかたすみに
・明日の米はない夜
(ヨル)
の子を叱つてゐる(ボクチン風景)
『行乞記(二)』
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