このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
大河内山
〜芭蕉句碑〜
松浦鉄道伊万里駅から西肥バスで大河内山へ。
大河内山でバスを降りると「伊勢越の碑」があった。
向かって右に「芭蕉句碑」がある。
初雪や幸い庵に罷り在り
出典は
『あつめ句』
(貞享4年編)。
前書きに「師走中の八日はしめて雪降けるよろこひ」とある。
貞亨3年(1686年)12月18日、深川の
芭蕉庵
で詠まれた句である。
弘化2年(1845年)正月吉日俳句をたしなむ杏花連中をはじめ17名の同行者によって俳聖芭蕉翁の作句「初雪や幸い庵に罷り在り」を刻み翁の遺徳を敬慕する記念の句碑である。
右に小さな句碑があった。
時雨忌や窯俳諧の昔あり 螺山
大河内山を歩く。
秘窯の里 大河内山
大河内山には1660年代頃に鍋島藩の御用窯が築かれた。そこで作られた「鍋島」は日本の磁器の中で最も格調高く優れたものであった。「鍋島」は販売目的ではなく将軍家への献上品や、諸大名への贈答品とするためのものであったため、地区内に役所や番所を設け厳しく管理していた。その伝統や技法は現在でも守り受け継がれており、およそ30の窯元が軒を連ねている。
狭い谷間にレンガ造りの煙突や窯元が立ち並び、その後背に青螺山がそびえる風景はさながら山水画のようであり、「秘窯の里」としての雰囲気を醸し出している。
登窯
国史跡
大河内鍋島窯跡(鍋島藩窯跡)
肥前(佐賀県・長崎県)では、現在の
有田町
を中心とする地域で、江戸時代はじめの1610年代ごろに国産最初の磁器がつくられました。佐賀藩は磁器生産を産業として奨励する一方で、延宝3年(1675年)ごろに肥前の陶磁器技術の粋を結集して大河内山に御道具山(通称を鍋島藩窯といいます)を開きました。
鍋島藩窯で藩のきびしい管理のもとにつくられたのが「鍋島」です。「鍋島」は江戸の徳川将軍家や幕府の要人、諸大名への献上や贈答のほかは藩主が城中で使用するためだけにつくられた特別あつらえのやきもので、一般に販売されることはありませんでした。妥協をゆるさない精緻な造形と優雅な作風によって近世陶磁の最高峰に位置づけられてもいます。
大川内山は三方を岩壁や急峻な山で囲まれ、山水画のような自然景観の中に、藩役宅跡、御細工場跡、登窯跡などが、ほとんど江戸時代そのままに保存されています。「鍋島」の研究や、鍋島藩窯の制度、陶工たちの生活を知る上で学術的価値が高いのです。現在も鍋島藩窯の伝統を受け継ぐ窯元が軒を連ね、「鍋島」の伝統を受け継ぐ「伊万里焼」が生み出されています。
雨が降り出した。
帰りのバスの時間までしばらく「伊万里・有田焼伝統産業会館」で雨宿り。
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