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私の旅日記
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2004年
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三峯神社
〜碑巡り〜
三峯神社
に日本武尊
(やまとたけるのみこと)
の銅像がある。
日本武尊
は三峯神社の創始者とされる。
日本武尊の銅像の周りに
山口青邨
の句碑、
野口雨情
、
斎藤茂吉
の歌碑があった。
山口青邨の句碑
巫女下るお山は霞濃くなりて
山口青邨の句碑を見るのは初めてだ。脇に句碑の説明が書いてあった。
巫女下るお山は霞濃くなりて
この作品は山口青邨先生が昭和16年秩父の有本銘仙らの案内により三峯神社宿坊へ一泊吟行にてお出での折り、詠まれたものである。先生はその後も幾度か当地に御清遊なされてゐる。
山口青邨先生はホトトギス虚子門の代表作家で、随筆写生文の大家としても知られ「夏草」を主宰する。
本名、吉郎。明治25年、盛岡に生る。
工学博士 東大名誉教授 俳人協会顧問
昭和61年9月28日
俳誌「夏草」埼玉県支部 誌
山口青邨は昭和63年に亡くなっているから、生前の句碑である。
斎藤茂吉の歌碑
二つ居りて啼くこえきけば相呼ばふ鳥が音かなし山の月夜に
大正15年(1926年)8月、斎藤茂吉は第3回アララギ安居会の折、三峯神社を訪れた。
この時の歌に「
月讀の光隈なき山中に仏法僧という鳥啼けり
」がある。
昭和9年(1934年)11月3日、斎藤茂吉は秩父三峰山登山口でアララギ歌会を開いている。
秩父吟行
十一月三日秩父三峰山登山口にてアララギ歌會を開きて明け
し四日中津峽を遊行せり
高きより山がはの水を見おろしつしばらくみして水際
(みぎは)
あるきつ
いろづきし山にむかひてわが行けばはざまの水は音たかまりぬ
なまよみの甲斐につづきてたたなはる秩父の山に冬の日入りぬ
『白桃』
野口雨情の歌碑
朝にやあさ霧夕にや狭きり秩父三峰霧の中
大正12年(1922年)、野口雨情は三峯神社を訪れたそうだ。
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