このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2010年
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聖福寺
〜芭蕉と曽良の句碑〜
県道65号さいたま幸手線は旧日光御成街道。
旧日光御成街道は志手橋で旧日光街道 と合流する。
旧日光街道を行くと、幸手市北に聖福寺という寺がある。
聖福寺は、寺号を菩提山東皐院聖福寺と称する
浄土宗
の寺で、本尊は阿弥陀如来であり、観音像は運慶の作とされている。
徳川三代将軍家光が日光社参の時御殿所(将軍の休憩所)として使用したのを始めとし、天皇の例幣使や歴代将軍が18回も休憩した。
聖福寺の入り口に芭蕉と曽良の句碑があった。
幸手を行ば栗橋の関
蕉
松風をはさみ揃ゆる寺の門
良
江戸時代、門前の通りの日光街道は、将軍の日光社参をはじめ、さまざまな旅人がゆきかい、その中には奥州へ向う文人、芸術家も多くあったことであろう。
『奥の細道』の旅を終えた俳人松尾芭蕉は4年後の元禄6年9月13日、江戸深川、芭蕉庵で十三夜連句を催した折、奥州の旅を思いおこし、同行した弟子曽良と並んで右の句をよんだ。
時を経て、昭和62年4月10日付の新聞紙上、埼玉の俳人鈴木一郎氏は、右2句を紹介しながら、芭蕉に続いてよまれたこの曽良の句の門を聖福寺の勅使門として間違いなかろうと説を示された。平成13年、日光街道400年を迎え、同14年、山門の改修工事が成り、併せてこの句碑を建立し、往時をしのぶものとする。
文京区教育委員会
平成15年 秋彼岸
聖福寺第二十八世 静誉康隆
石碑の書体は、『芭蕉袖草紙』の原本を拡大複写して刻んだものである。
聖福寺勅使門
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