このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2013年
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「五老井の跡」
〜許六の句碑〜
彦根市原町に原東山霊園がある。
原東山霊園管理事務所に「五老井の跡」がある。
森川許六の碑
水すじを尋ねてみれば柳かな
水すじとは近くを流れる「いざや川」を詠ったものです。
許六
は江戸時代の彦根藩士で芭蕉の弟子となる。
名残りの井戸の脇に句碑がある。
許六の句碑
水すしを尋ねてみれハ柳か那
「五老井記」にある。
彦根藩士谷鉄臣の筆によるという。
明和2年(1765年)、蓑笠庵梨一は「五老井の跡」を訪ねてみた。
原村の入口右にみゆるはとこの山なり。いさや川は民家の軒下を流れたる小川をいふとそ。此村のはつれに五老井か四絶を物とし、別業の跡、草庵なとありと聞て其所を尋るに、四面の修竹青やかに生ひしけりて、けにも風流家の住居とは見え侍れと、常は門戸をとちて人にゆるさすと、故に空しく外面より打詠めて果しぬ。
『大和紀行』
天明8年(1788年)2月28日、蝶夢は江戸へ下る途中で五老井の旧地を訪ねた。
翌廿八日、里秋・師由・引牛など老分を送りて多賀の社に詣で、其由法師・塘里子などに対し、人々とともに五老井の旧地 を尋るに、夢師、「こゝは彼〈五老井の記〉に書しにたがはず、其世の面影を見るがごとく、桜はほころべどさすがにものいはず、椿は落て徒に道をうづむ。水すじをたづねて見れば、柳いつか朽にけん。一字をかへて思ひをのぶ。
水すじを尋て見れば柳なし
静さや古井にのこる春の陰
予
『富士美行脚』
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