このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2015年
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勝居神社
〜芭蕉の句碑〜
米原市杉沢に勝居神社がある。
勝居神社
御祭神
大日霊貴命
(おおひるめのみこと)
(天照大神)
(※「霊」はもっと複雑な字である)
素盞鳴尊
(すさのおのみこと)
(須佐之男命)
大己貴命
(おおなむちのみこと)
(大国主命)
勝居
(かちい)
神社は垂仁天皇の御代から産土の神として崇められてきました。
杉澤は伊吹山麓にあり、すぐれた泉が湧き出るところで縄文時代の頃から人々が住み、古くは村の社を「勝井」と呼び、後に「勝居大明神」と改められました。
後醍醐天皇の建武の中興には皇太子守良親王(五辻宮)が太平寺やここ勝居の神宮寺である正明寺に本拠をおいたと伝えられる。
織田信長、丹羽長秀、羽柴秀吉等は勝居明神禁制の高札を寄せ(社宝)、後賤ヶ岳合戦に向かう秀吉は神域の竹を伐り必勝祈願をして
ゆく先のいくさにかち明神の
利生は旗の竿にありけり
の句を献上し、社殿の改修、社地の奉納もしている。
戦の時は武運長久を、今日では入学・就職・スポーツ等必勝祈願に参詣の人が絶えない。
境内に聳える数百年を経た欅の大木は勝居神社の太古からの歴史を物語っている。
社殿の左手に芭蕉の句碑があった。
人も見ぬ春や鏡のうらの梅
出典は
『己が光』
(車庸編)。
元禄5年(1692年)の歳旦句。
明治12年(1879年)7月、杉之沢社中建立。梅風書。
社殿の右手にも
芭蕉の句碑
があった。
鶯や柳のうしろ藪の前
出典は
『続猿蓑』
(沾圃編)。
『蕉翁句集』
(土芳編)は「元禄五甲
(ママ)
ノとし」とする。
明治16年(1883年)冬、共栄社中建立。梅風杵書。
社殿の裏に「温故創新の里」杉澤のモニュメントがあった。
笹お守りの由来
天正11年(1583年)賤ヶ岳合戦に出向く
羽柴秀吉
が、勝居神社に立ち寄り必勝祈願をした折、氏子が境内の笹の葉を守り札として武士に授け、武士たちは出陣に際し、之を兜や懐の中に奉じて陣中に功名をたてたと伝えられる。
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