このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
正岡子規の句碑
棒杭や四ッ街道の冬木立
JR総武本線四街道駅前広場に正岡子規の句碑があるというので、行ってみた。
北口駅前広場の片隅に正岡子規の句碑があった。
棒杭や四ッ街道の冬木立
『寒山落木 巻三』(明治二十七年 終リノ冬)収録の句。
右側面に「
正岡子規の句碑を建てる辞
」が刻まれている。
正岡子規の句碑を建てる辞
総武本線の前身株式会社総武鉄道は、明治27年7月20日、市川と佐倉の間に、次いで同年12月9日に本所から佐倉までが開通した。四街道駅の開設はこの日である。開通後間もない某日、当時少壮の新聞記者であった俳人で歌人の正岡子規は、本所より佐倉までの俳句枕の旅を試み、同月30日付の日本新聞に、その紀行文「総武鉄道」を発表した。
棒杭や四ッ街道の冬木立
の句は、その文中にある。往時の駅周辺のたたずまいを余すところなく語っている。今、近代的駅前広場の完成に当り、四街道の歴史を語る老銀杏樹と共に、市の黎明期を後世に永く伝えるものです。そこで有志659人、22団体が相寄り相語り、浄財を持ち寄り、右の句を碑に刻みこの地に建てる。
昭和61年3月31日
正岡子規の句碑
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