このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

正岡子規の句碑


砧うつ隣りに寒き旅寝哉

時の鐘 からかねつき通りを行き、県道51号川越上尾線に出る。


川越市役所に向かって歩くと、左に正岡子規の句碑があった。


砧うつ隣りに寒き旅寝哉

石は根府川石だそうだ。

 砧うつの句は正岡子規先生が明治24年12月下浣埼玉を旅したる川越客舎の一吟である。 明治26年3月の大火で今福屋も吉田屋も焼けたそうだ。

 この度市制40周年記念にあたり、かつての宿舎たりし今福屋の旧跡に偶々田島氏の厚意により同志と相謀りて句碑を建立し、子規先生の俳跡を後世に伝え、以ってその遺徳を顕彰するものである。

 昭和37年10月1日

 明治24年(1891年)12月下旬、正岡子規は埼玉を旅して川越今福屋に泊まり、隣りの洗張業吉田屋で砧をうつ音を聞いた。

   川越客舍

砧うつ隣に寒きたひね哉

猿曳は妻も子もなし秋のくれ

猿ひきを猿のなぶるや秋のくれ

秋のくれ壁見るのでもなかりけり

   簔一枚笠一個簔は房州の雨にそほち笠は
   川越の風にされたるを床の間にうやうや
   しく飾り

簔笠を蓬莱にして草の庵

小松曳袴の泥も畫にかゝん

『寒山落木』(第一巻)

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