このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

2019年の旅日記

西周旧居〜「ヰタ・セクスアリス」〜
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森鴎外記念館から津和野川を渡り、西周旧居へ。


国指定史跡 西周旧居

 ここは西周が少年・青年期の4歳から25歳まで(1833〜1853)を過ごし、生涯の基礎を築いた屋敷である。西家は外科医として代々津和野藩に仕えていた。屋敷は東西約32m、南北約31m、面積約1,107㎡の敷地に主屋、土蔵、土塀、庭園を配置している。主屋は嘉永6年(1853年)4月の大火による焼失後の再建だが、土蔵は焼失をまぬがれ、周の勉強部屋と伝えられる1階の3畳間は当時のままである。また、全体にこの地方の小規模な武家屋敷の構えをよくとどめており、貴重な遺構となっている。

 主屋は、木造平屋建、桁行11.8m、梁間9.7m。寄棟造、茅葺、各面の下屋は杉皮葺。大火の後、他の建物を移築改造したものと考えられている。土蔵は、切妻造、桟瓦葺き、桁行5.9m、梁間3.9m。

 なお、東側土塀内側には、嘉永6年の大火にさらされたと推定される土塀の一部(表面に見られるヒビ割れ部分)を保存している。

主屋


内部


 同じ年の十月頃、僕は本郷壱岐坂にあった、独逸語を教える私立学校にはいった。これはお父様が僕に鉱山学をさせようと思っていたからである。

  向島 からは遠くて通われないというので、その頃神田小川町に住まっておられた、お父様の先輩の東先生という方の内に置いて貰って、そこから通った。

「ヰタ・セクスアリス」

「東先生」が西周である。

土蔵




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