このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
下 町
石浜神社
〜都鳥の碑〜
東白鬚公園から白鬚橋を渡る。
白鬚橋を渡ると明治通りの北が荒川区、南は台東区。
荒川区に石浜神社がある。
聖武天皇の神亀元年(724年)創祀。
祭神は天照大御神
(あまてらすおおみかみ)
と豊受姫神
(とようけひめのかみ)
。
天照大御神
(あまてらすおおみかみ)
は伊勢神宮内宮の祭神、豊受姫神
(とようけひめのかみ)
は外宮の祭神。
伊勢参宮の代わりに石浜神社に詣でたそうだ。
江戸時代の石浜神社
文治5年(1189年)、
源頼朝
は奥州征討に際して社殿を寄進したという。
境内に
亀田鵬斎
の隅田川詩碑、「伊勢物語」の都鳥の碑がある。
左が都鳥の碑で、右が亀田鵬斎の詩碑らしい。
亀田鵬斎(1752−1826)は江戸後期の儒者。江戸神田生まれ。書を三井親和に、儒学を井上金峨に学ぶ。下町の文人儒者として、経書を講じ多くの書・詩文を作った。著「論語撮解」「善身堂詩鈔」など。
都鳥の碑は文化2年(1805年)建立だそうだ。
さるおりしも、白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水のうへに遊びつゝ魚をくふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡守に問ひければ、「これなん宮こ鳥」といふを聞きて、名にし負はばいざ事問はむ宮こ鳥わが思ふ人はありやなしやと、とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。
文化12年(1815年)10月20日、
小林一茶
は石浜神社を訪れている。
廿 大晴 松戸大庄訪 石浜社ヨリ真先
(崎)
太神宮
明神にほうり出された霰哉
『七番日記』(文化12年10月)
真先
(崎)
太神宮は真崎稲荷神社のこと。天文年間(1532〜1554)石浜城主千葉守胤によって祀られたと伝えられているそうだ。現在は石浜神社に併合されている。
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