このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2006年

お茶の水坂〜島木赤彦〜

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水道橋からお茶の水に向かって外堀通りを歩く。


元町公園の前に「お茶の水坂」の標識があった。


お茶の水坂

水道橋から順天堂医院間の外堀通り

 この神田川の外堀工事は元和年間(1615−1626)に行われた。それ以前に、ここにあった高林寺(現向丘2丁目)の境内に湧き水があり“お茶の水”として将軍に献上したことから、「お茶の水」の地名がおこった。

 『御府内備考』によれば「御茶ノ水は聖堂の西にあり、この井名水にして御茶ノ水に召し上げられしと‥‥」とある。

 この坂は神田川(仙台掘)に沿って、お茶の水の上の坂で「お茶の水坂」という。坂の下の神田川に、かって神田上水の大樋(水道橋)が懸けられていたが、明治34年(1901年)取りはずされた。

お茶の水橋低きに見ゆる水のいろ

  寒む夜はふけてわれは行くなり

島木赤彦(1876−1926)

−郷土愛をはぐくむ文化財−

文京区教育委員会

平成9年3月

島木赤彦「いろは館」 に下宿してアララギの発刊に当たっていた。

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