このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
下 町
お行の松
〜子規の句碑〜
台東区根岸4丁目の不動堂に「お行の松」がある。
不動堂
お行の松
お行の松
台東区根岸4丁目9番5号
西蔵院境外不動堂内
江戸期から根岸の大松と人々に親しまれ、「江戸名所図会」や広重の錦絵にも描かれた名松。現在の松はその3代目である。
初代の松は、大正15年に天然記念物の指定を受けた当時、高さ13.63m、幹の周囲4.09m、樹齢350年と推定された。枝は傘を広げたようで、遠くからもその姿が確認できたという。しかし、天災や環境の悪化から昭和3年に枯死。同5年に伐採した。
2代目の松は、昭和31年上野中学校敷地内から移植したが、これも枯死してしまい、昭和51年8月、3代目の松を植えた。戦後、初代の松の根を土地中より掘り出して保存し、不動堂の中にこの根の一部で彫った不動明王像をまつり、西蔵院と地元の不動講の人々によって護持されている。
御行の松の名の由来に定説はないが、一説には松の下で寛永寺門主輪王寺宮が行法を修したからともいわれる。また、この地を時雨が岡といったところから、別名時雨の松とも呼ばれた。
台東区教育委員会
初代
御行の松
同所庚申塚といへるより三四丁艮の方、小川に傍うてあり。一株の古松のもとに、不動尊の草堂あり。土人この松を御行の松と号く。来由は姑
(しばら)
くこゝに省略
(もら)
す。(一に時雨の松ともよべり。)
『回国雑記』
忍ぶの岡といへる所にて、松原のありけるかげにやすみて、
霜の後あらはれにけり時雨をば忍びの岡の松もかひなし 道興准后按ずるに、忍の岡といへるは東叡山の旧名なり。この地も東叡山より連綿たれば、『回国雑記』に出づるところの和歌の意を取りて、後世好事の人の号けしならん歟。
『江戸名所図会』
正岡子規の句碑
があった。
薄緑お行の松は霞みけり
『寒山落木 巻三』(明治二十七年 春)の句。「根岸」とある。
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