このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
下 町
ポプラ坂
滝野川第一小学校の前に田端保育園がある。
田端保育園はポプラ倶楽部の跡で、ポプラ坂の案内が書いてあった。
田端保育園はポプラ倶楽部の跡で。ポプラ坂の名はこれにちなむものです。ポプラ倶楽部は、明治41年ごろ、洋画家の
小杉放庵
(未醒)が作ったテニスコートで、田端に住む洋画家の社交場となったものです。陶芸家の板谷波山、洋画家の山本鼎、彫刻家の吉田三郎、詩人の
室生犀星
、小説家の菊池寛などが、このすぐ近くに住んでいました。大正2年、田端に越してきた芥川龍之介は、その1ヶ月目に、ポプラ倶楽部のことを手紙に書いています。
東京都北区教育委員会
大正2年は大正3年の誤りのようだ。
芥川龍之介
は大正3年11月30日、田端へ越してきて1ヶ月目に、近況と田端の模様を知らせた手紙を京都に住む一高時代の親友恒藤恭に出している。そのなかで、「近所にポプラ倶楽部を中心とした画かき村があるだけに外へ出ると黒のソフトによく逢着する度に芸術が紺絣を来てあるいてゐるやうな気がする」と漱石ばりの文章で皮肉っている。さすがに芥川だ。彼はこの田端の先住民族の中心にちはやく目をつけて、親友に報告をした。
近藤富枝『田端文士村』
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