このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2009年

正岡子規記念球場〜正岡子規の句碑〜

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上野恩賜公園にある東京文化会館の西側に正岡子規記念球場がある。


正岡子規記念球場


正岡子規記念球場の公孫樹


落ち葉を敷き詰めたように 正岡子規の句碑 があった。


春風やまりを投げたき草の原

『子規全集』(第十巻)初期随筆「筆まかせ」の句。

正岡子規記念球場

 正岡子規(1867〜1902)は俳人、歌人、随筆家であり、現在の愛媛県松山市に生まれた。名は常規。子規は、明治時代のはじめに日本に紹介されて間もない野球(ベースボール)を愛好し、明治19年頃から同23年頃にかけて上野公園内で野球を楽しんでいた。

 子規の随筆『筆まかせ』には、明治23年3月21日午後に上野公園博物館横空地で試合を行ったことが記されており、子規はこのとき捕手であったことがわかる。子規の雅号のひとつに、幼名の升(のぼる)にちなみ「野球(の・ぼーる)」という号がある。子規は野球を俳句や短歌、また随筆、小説に描いてその普及に貢献した。ベースボールを「弄球」と訳したほか「打者」「走者」「直球」などの訳語は現在も使われている。それらの功績から平成14年に野球殿堂入りをした。

 子規が明治27年から同35年に亡くなるまで住んでいた住居は、戦後再建され 「子規庵」 (台東区根岸2−5−11)の名で公開されている。

 上野恩賜公園開園130周年を記念して、ここに子規の句碑を建立し、野球場に「正岡子規記念球場」の愛称が付いた。

平成18年7月、台東区・台東区教育委員会

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