このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2010年
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日本橋COREDO
〜漱石名作の舞台〜
中央区日本橋1丁目に日本橋COREDOがある。
平成16年(2004年)3月30日、日本橋COREDOは江戸時代の老舗呉服店白木屋の跡地に開業した。
「日本橋通一丁目略図」
歌川広重『名所江戸百景』より
COREDOは、「核(CORE)」と「江戸(EDO)」を重ねた造語だそうだ。
日本橋COREDOの裏手にCOREDO日本橋アネックス広場がある。
COREDO日本橋アネックス広場に「名水白木屋の井戸」の碑があった。
東京都指定旧跡
名水白木屋の井戸
江戸時代のはじめ、下町一帯の井戸は塩分を含み飲料に適する良水が得られず付近の住民は苦しんでいました。
正徳元年(1711年)、白木屋二代目当主の大村彦太郎安全は私財を投じて井戸掘りに着手しました。翌2年、たまたま井戸の中から一体の観音像が出たのを機に、こんこんと清水が湧き出したと伝えられています。以来、付近の住民のみならず諸大名の用水ともなって広く「白木名水」とうたわれてきました。
白木名水は湧出してから数百年の時を経て消失しましたが、江戸城下の歴史を理解する上で重要な遺跡です。この「名水白木屋の井戸」の石碑は江戸時代の呉服商を継いだ白木屋デパート、東急百貨店と続く長い歴史の後に、日本橋1丁目交差点角にあったものを平成16年(2004年)ここに移設再現したものです。
「名水白木屋の井戸」の隣に「漱石名作の舞台」の碑があった。
江戸っ子
漱石
はロンドンを舞台にした作品にも日本橋を言挙したほどだ。青春小説「三四郎」、倫理探求の名作「こころ」には、ここの路地の寄席や料理屋が描かれている。
平成17年6月吉日
早稲田大学第十四代総長
奥島孝康 識
次に本場の寄席へ連れて行ってやると言って、また細い横町へはいって、木原店
(きはらだな)
という寄席を上がった。ここで小さんという落語家
(はなしか)
を聞いた。十時過ぎ通りへ出た与次郎は、また
「どうだ」と聞いた。
『三四郎』(三)
漱石の『こころ』で、私と奥さん・お嬢さんの三人が日本橋へ買いものに行った帰りに食事をしたのが、この辺りであったようだ。
こんな事で時間が掛って帰りは夕飯の時刻になりました。奥さんは私に対するお礼に何かご馳走するといって、木原店という寄席のある狭い横丁へ私を連れ込みました。横丁も狭いが、飯を食わせる家も狭いものでした。この辺の地理を一向心得ない私は、奥さんの知識に驚いたくらいです。
『こころ』(下 先生と遺書 十七)
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