このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2011年

太平洋美術会〜中村不折〜
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荒川区西日暮里の諏方神社前に 「太平洋美術会研究所」 (HP)がある。


明治35年(1902年)、太平洋画会結成。小杉未醒は会員となる。

太平洋美術会


 太平洋美術会は、明治35年にその前身である太平洋画会が創立されて以来、明治、大正、昭和、平成の四世代にわたる輝かしい伝統を築きあげてきた、我が国の洋画および彫刻界における最古の歴史を誇る団体です。

 明治37年に谷中清水町に洋画研究所を開設後、昭和4年に研究所を太平洋美術学校と改め、官立の学校に対抗し、在野の立場から坂本繁二郎、中村彝(つね)、高村智恵子など、幾多の英才鬼才を我が国洋画壇に送り込んできました。

 昭和20年3月の戦災による校舎焼失後、会員一同の協力により、諏方神社前のこの場所に再建され、昭和32年、名称を太平洋美術会と改め、現在に至っています。

 平成7年度開始の「ディスカバーあらかわ 区内の風景画展」「荒川区を描く絵画講習会」開催など、荒川区の芸術・文化振興にも多大な貢献をされています。

 平成14年に百周年を迎えた伝統あるこの団体が荒川区に本拠を構えていることは、荒川区民の誇りとするところであり、ここに太平洋美術会の足跡を記し、その功績をたたえるものであります。

荒川区

 明治40年(1907年)、智恵子は日本女子大学を卒業後太平洋画会研究所で学ぶ。

太平洋美術学校初代校長は 中村不折

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