このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2007年
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天城山隧道
〜『伊豆の踊子』〜
『伊豆の踊子』の文学碑
を過ぎて、天城山隧道へ。
天城山隧道
重要文化財
天城山隧道
天城湯ヶ島町湯ヶ島
河 津 町 梨 本
この隧道(トンネル)は下田街道の改良工事の一環として、明治34年(1901年)に貫通、同37年に完成した。
全長約444.5m、幅員約4.1m、トンネル両端の坑門及び内部全体が切石積で造られ、川端康成の小説
『伊豆の踊子』
をはじめ多くの文学作品に登場するトンネルとして広く親しまれている。
平成13年(2001年)6月15日、わが国に現存する石造道路隧道の中で、最大長を有する土木構造物で、技術的完成度が高く、明治後期を代表する道路隧道として、道路隧道としては全国で初めて重要文化財に指定された。
平成13年12月建立
静 岡 県
明治42年(1909年)、
島崎藤村
、
田山花袋
、蒲原有明らが旧天城トンネルを馬車で通っている。
漸くのことで山上の小屋へ着いた。吾儕は馬車から下りた。何よりも先づ焚火にあてゝ貰つて、更にこれから湯が野まで乘るか、それとも歩いて下るか、とその相談をした。 能く喋舌る老婦
(ばあさん)
が居て、こゝで郵便物は毎日交換されるの、あの氷を製造して居るのは自分の旦那だの。とノベツに話した。吾儕は湯が野まで乘ることに定めた。馬丁は馬に食はせて、今度は自分も乘つて、氷柱
(つらゝ)
の垂下つた暗い隧道
(とんねる)
を指して出掛けた。
『伊豆の旅』
大正7年(1918年)、
川端康成
は修善寺から下田まで旅をした。
大正15年(1926年)、「文芸時代」に
『伊豆の踊子』
を発表。
折れ曲がった急な坂道を駆け登った。ようやく峠の北口の茶屋にたどりついてほっとすると同時に、私はその入り口で立ちすくんでしまった。あまりに期待がみごとに的中したからである。そこで旅芸人の一行が休んでいたのだ。
『伊豆の踊子』
暗いトンネルにはいると、天城山隧道を見に来た家族がいた。
暗いトンネルにはいると、冷たいしずくがぽたぽた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた。
『伊豆の踊子』
踊子のような娘さん
天城山隧道から八丁池に通じる道は現在途中2カ所が崩落して通れない。そのため水生地からワサビ沢を経て迂回する道を通らなければならないそうだ。
愛新覚羅浩
(ひろ)
の娘慧生
(えいせい)
は19の時天城山の八丁池で学習院大国文科2年の同級生大久保武道と心中した。
道の駅「花の三聖苑伊豆松崎」
へ。
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