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私の旅日記
事任八幡宮
〜遠江國一の宮〜
掛川市八坂に
事任
(ことのまま)
八幡宮
(HP)がある。
遠江國
一の宮
である。
事任八幡宮のクスノキ
掛川市指定文化財である。
御由緒
創立年代未詳 大同2年(807年)、
坂上田村麻呂
東征の際、桓武帝の勅を奉じ、旧社地本宮山より現社地へ遷座すという。
延喜式(927年)神名帳
に佐野郡己等乃麻知
(ことのまち)
神社とあるはこの社なり。古代より街道筋に鎮座、遠江に坐す。願いごとのままに叶うありがたき言霊
(ことだま)
の社として朝廷を始め全国より崇敬されしことは平安朝の「枕草子」に記載あるを見ても明らかなり。
世が貴族社会より武家社会に移るや八幡信仰が一世を風靡し 康平5年(1062年)源頼義が石清水八幡宮を当社に勧請し、以来八幡宮を併称す。
江戸期に入りては徳川幕府も当社を信仰し社殿を改築、朱印高百石余を献上す。明治以降 県社八幡神社と称せしが、第二次大戦以後の社格廃止に伴い、由緒ある名「事任」を復活し、現在は事任八幡宮と称す。
事任八幡宮
事任八幡宮
任事の明神いとたのもし。さのみ聞きけんとやいはれ給はんと思ふぞいとをかしき。
『枕草子』(二二五段)
貞応2年(1223年)4月12日、京都に住む隠者は鎌倉に下る途中、事任神社に参詣している。
山口ト云今宿ヲ過レバ、路ハ旧ニ依テ通ゼリ。野原ヲ跡ニシ、里村ヲ先ニシ、ウチカヘウチカヘ過行バ、事ノ任ト申社ニ參詣ス。本地ヲバ我シラズ、仏陀ニゾイマスラン、薩タ
(※「土」+「垂」)
ニモイマスラン。中丹ヲバ神必憐給べシ。今身
(こんじん)
モヲヤカニ、後身
(ごしん)
モ穏カニ、椙ノ村立ハ三輪ノ山ニアラズトモ、恋敷ハ問
(とぶらひ)
テモマイラン。願ハ只畢竟空寂ノ法味ヲ納受シテ、真実不虚ノ感ヲ垂レ給ヘ。
思フ事ノマゝニ叶ヘヨ杉タテル神ノ誓ノシルシヲモミン
『海道記』
仁治3年(1242年)8月、『東関紀行』の作者は鎌倉へ下る途中、事任神社で歌を詠んでいる。
ことのまゝと聞ゆる社おはします。その御前を過ぐとて、いさゝか思ひつゞけられし。
ゆふだすきかけてぞたのむ今思ふことのまゝなる神のしるしを
『東関紀行』
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