このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2009年

松原公園〜若山牧水〜
indexにもどる

嵯峨沢温泉 から国道136号で船原峠を越えて土肥温泉へ。

土肥温泉に松原公園がある。


大場美夜子の句碑があった。


なめらかな海に裳(すそ)を引く春の富士

昭和36年(1961年)の春、土肥を旅して詠まれた句。

富安風生の門下で、俳誌『雪解川』の主催者。

私は知らなかったが、『ホトトギス』の重鎮だそうだ。

若山牧水の歌碑 があった。


ひそまりてひさしく見ればとほ山のひなたの冬木かぜさわぐらし

大正7年(1918年)2月に詠まれた歌。

 第12歌集『渓谷集』に収録、「二月七日今度はわれ一人にて土肥へ赴き月末まで滞在す、その時の歌のうちより。」とある連作の中の一首。

昭和45年(1970年)8月、建立。

『牧水歌碑めぐり』(大悟法利雄著)によれば、58番目の牧水歌碑である。

島木赤彦 の歌碑もあった。


土肥の海漕出てゝ見れは白雲を天に懸けたり不二の高根は

『柿陰集』に収録。

島木赤彦は大正14年(1925年)1月28日より7日間土肥に滞在したそうだ。

昭和36年(1961年)12月、建立。

船原峠 にも赤彦の歌碑がある。

松原大橋に牧水の胸像があった。


奥村良宏製作。

 奥村良宏は昭和11年(1936年)宮崎県都城市に生まれ、多摩美術大学卒、菊池一雄に師事。代表作は宮崎県東郷町に建立された 牧水像

大正13年(1924年)、牧水は土肥を訪れている。

   枯木の枝

この朝の時雨に濡れて帰りこし狩人は二羽の雉子を負ひたり(土肥にて)

湯の宿の二階の軒につるされてこはうつくしき雉子の鳥かも

『黒松』

牧水像の下にも牧水の歌碑があった。


花のころに来馴れてよしと思へりし土肥に来て見つその梅の実を

歌集未収録の歌である。

 大正14年(1925年)5月、初めて初夏に土肥を訪れ、家族と 牧水荘土肥館」 に宿泊して詠まれた歌のようだ。

私の旅日記2009年 〜に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください