このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2011年
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旧見付学校
〜見付宿脇本陣〜
磐田市見付に旧見付学校がある。
旧見付学校
史跡旧見付学校
「旧見付学校」は、学制発布後まもない明治8年(1875年)に落成した現存する日本最古の洋風木造小学校校舎です。当初は4階建てでしたが、明治16年に増築されて今の5階建てとなりました。
記録によると明治14年の見付学校の生徒数は男300名・女182名の482名で、就学率(学校にいった人の割合)は、66%でした。
この建物は大正11年まで小学校として、その後は中学校、裁縫女学校、教員養成所、病院等として使用されました。現在は学校関係の資料等が展示されています。
昭和44年、国指定史跡となっています。
磐田市教育委員会
見付学校は
坊中学校
・西之島学校とともに遠州の三大学校と称されたそうだ。
見付通り(旧東海道)沿いに見付宿脇本陣の門があった。
旧見付宿脇本陣大三河屋門
江戸時代、宿場には街道を往来する大名や公家が宿泊する施設として、本陣が決められていました。脇本陣は、本陣を補うための宿泊施設で、本陣に次ぐ規模・格式を持っていました。大三河屋は、はじめ旅籠屋でしたが、文化2年(1805年)に脇本陣になりました。
この門は、2本の本柱に冠木
(かぶき)
を渡し、その上に梁と切妻屋根を載せています。武家や商家の屋敷の門には棟門
(むなもん)
が使われますが、脇本陣の玄関を飾るためか、小さいながら薬医門
(やくいもん)
の形をした門です。
屋根は桟瓦
(さんかわら)
葺きの切妻造りで、大棟
(おおむね)
の両先端には小型の鯱を配置し、大棟両端から降棟が付けられ、その先端部には獅子を表した飾り瓦である留蓋
(とめぶた)
が置かれています。降棟によって、重厚で落ち着きのある印象を与え、由緒ある脇本陣の伝統をかもし出しています。
かつて見付から中泉の中津川家に移築され同家の門として使用されていましたが、平成17年、市に寄贈され、平成19年に移築復元しました。
磐田市教育委員会文化財課
脇本陣は秀英予備校見付校の地にあったようだ。
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