このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2010年

佐野原神社〜藤原為冬卿〜
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裾野市平松に佐野原神社がある。


佐野原神社


祭神名 藤原朝臣二条為冬卿

 二条為冬卿は「和歌の家」御子左家(みこひだりけ)嫡流二条為氏の三男として生まれました。

 和歌の才能にも恵まれ後醍醐天皇の親任も厚かったのですが、南北朝の争いに巻き込まれ、足利尊氏らを討つため尊良親王に従って出陣しました。

 しかし、足利方の勢いに押され、ここ佐野原の地に陣を張りましたが、建武2年(1334年)12月12日激しい戦いの末に斃れました。

 明治維新後、国や地元有志の努力で残されていた将軍塚の前に社殿を建て、明治9年(1876年)佐野原神社として創立されました。

佐野原神社祭神
藤原為冬卿の歌


よそめにはさそまかふらむやまさくら

木の下にたに雲かとそ見る

和歌「花十首」から

山かせや夕涼しくなりぬらん

『菟玖波集』巻四(秋)連歌(上)253

2009年5月

佐野原神社碑


明治15年(1882年)、谷干城撰文。

篆額は有栖川宮熾仁親王。

有栖川宮熾仁親王は 和宮 親子内親王と婚約していたことで知られる。

佐野原神社に芭蕉の句碑があった。


目にかゝる時や殊更さつき富士

出典は 『芭蕉翁行状記』 (路通編)。

箱根の關越て」と前書きがある。

 元禄7年(1694年)5月11日、芭蕉は江戸を発って上方へ最後の旅する。

天保12年(1841年)8月、建立。

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