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私の旅日記
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2010年
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佐野原神社
〜藤原為冬卿〜
裾野市平松に佐野原神社がある。
佐野原神社
祭神名 藤原朝臣二条為冬卿
二条為冬卿は「和歌の家」御子左家
(みこひだりけ)
嫡流二条為氏の三男として生まれました。
和歌の才能にも恵まれ後醍醐天皇の親任も厚かったのですが、南北朝の争いに巻き込まれ、足利尊氏らを討つため尊良親王に従って出陣しました。
しかし、足利方の勢いに押され、ここ佐野原の地に陣を張りましたが、建武2年(1334年)12月12日激しい戦いの末に斃れました。
明治維新後、国や地元有志の努力で残されていた将軍塚の前に社殿を建て、明治9年(1876年)佐野原神社として創立されました。
佐野原神社祭神
藤原為冬卿の歌
よそめにはさそまかふらむやまさくら
木の下にたに雲かとそ見る
和歌「花十首」から
山かせや夕涼しくなりぬらん
『菟玖波集』巻四(秋)連歌(上)253
2009年5月
佐野原神社碑
明治15年(1882年)、谷干城撰文。
篆額は有栖川宮熾仁親王。
有栖川宮熾仁親王は
和宮
親子内親王と婚約していたことで知られる。
佐野原神社に芭蕉の句碑があった。
目にかゝる時や殊更さつき富士
出典は
『芭蕉翁行状記』
(路通編)。
「
箱根の關越て
」と前書きがある。
元禄7年(1694年)5月11日、芭蕉は江戸を発って上方へ最後の旅する。
天保12年(1841年)8月、建立。
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