このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

夏目漱石ゆかりの地
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夏目漱石誕生之地〜夏目坂〜

東京メトロ東西線早稲田駅を出る。


吉野家の前に「夏目漱石誕生之地」の碑があった。


正面に「夏目漱石誕生之地」、その左に「遺弟子安倍能成書」と書いてある。

下には説明が書いてあった。

 夏目漱石は慶応3年(1867年)1月5日(陽暦2月9日)江戸牛込馬場下横町(新宿区喜久井町一)名主夏目小兵衛直克の末子として生まれ、明治の教育者・文豪として不滅の業績を残し、大正5年(1916年)12月9日新宿区早稲田南町七において没す。生誕百年にあたり漱石の偉業を称えてその生誕の地にこの碑を建つ。

側面に「昭和41年2月9日 夏目漱石生誕百年記念 新宿区建立」とある。

碑の後には東京都新宿区教育委員会の詳しい説明が書いてある。

新宿区指定史跡 夏目漱石誕生の地

  所在地   新宿区喜久井町一番地

指定年月日 昭和六十一年十月三日

 文豪夏目漱石(1867〜1916)は、夏目小兵衛直克と千枝夫妻の五男三女の末子としてこの地に生れた。

 夏目家は牛込馬場下横町周辺の11ヶ町をまとめる名主で、その勢力は大きく、喜久井町の名は夏目家の家紋「井桁に菊」に因み、また夏目坂は直克が命名したものだという。

 漱石は生後間もなく四谷の古道具屋に里子に出されたが、すぐに生家にもどり、2歳の11月に再び内藤新宿の名主塩原昌之助の養子となり、22歳のときに夏目家に復籍している。

 なお、この地での幼少時代のことは大正4年に書かれた随筆『硝子戸の中』に詳述されている。

 また、この記念碑は昭和41年に漱石生誕百年を記念して建立されたもので、文字は漱石の弟子安倍能成の筆になる。

 平成3年11月

東京都新宿区教育委員会

夏目坂の標識


 夏目漱石の随筆『硝子戸の中』(大正4年)によると、漱石の父でこの辺りの名主であった夏目小兵衛直克が、自分の姓を名づけて呼んでいたものが人々に広まり、やがてこう呼ばれ地図にものるようになった。

平成14年3月 新宿区教育委員会

木製の標識もあった。


平成3年1月のもので、書かれている文字は半ば消えていた。

 父はまだその上に自宅の前から南へ行く時に是非共登らなければならない長い坂に、自分の姓の夏目という名をつけた。不幸にしてこれは喜久井町ほど有名にならずに、ただの坂として残っている。しかしこの間、或人が来て、地図でこの辺の名前を調べたら、夏目坂というのがあったと云って話したから、ことによると父の付けた名が今でも役に立っているのかも知れない。

『硝子戸の中』

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