このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
今年の旅日記
鳴門公園
〜野口雨情の歌碑〜
初めて徳島にやってきた。
徳島といえば、鳴門の渦潮。
ということで、鳴門公園へ。
「鳴門秘帖」の文学碑
昭和53年(1978年)11月8日、鳴門市建立。
「鳴門秘帖」は大正15年8月から翌年の昭和2年10月まで大阪毎日新聞に連載され、それまで無名であった吉川英治の名を作家としての不動のものにした作品である。
鳴門の渦潮を背景に法月弦之丞、見返りお綱、お十夜孫兵衛など、多彩な人物が織りなす波乱万丈の物語は吉川文学の中でも奔放自在な空想力を駆使した伝奇小説の傑作として異彩を放っている。
ここに吉川英治の功績を讃え「鳴門秘帖」の舞台となった千鳥ヶ浜、鳴門海峡を見おろすこの地に文学碑を建立する。
鳴門市
鳴門大橋
「渦の道」へ。
飛島灯台
ポスターのような渦潮は、なかなか見られないものらしい。
昭和6年(1931年)10月11日、
与謝野寛・晶子夫妻
は別府から神戸まで瀬戸内海を船で行く。
船醉ひとなりて豊後の瀬戸を越え鳴門の海は指ざして過ぐ
「沙中金簪」
野口雨情の歌碑があった。
超える気がありや鳴門の
瀬戸も命帆にかけ舟で越す
平成18年(2006年)12月、鳴門市建立。
野口雨情歌碑建立の趣意
野口雨情
は、昭和11年2月に来鳴し、8日から10日にかけて鳴門の名所を巡り、豪快な渦の巻く鳴門海峡、月明かりの美しい鳴門の風景に心動かされて、「鳴門小唄」8節を詠んだ。
また、撫養塩田や妙見山の景観に魅せられ、「撫養小唄」14節を作った。
平成18年は、野口雨情来鳴70周年を迎える。この記念すべき年に顕彰し、後世に伝えるため、この歌碑を建立する。
鳴門市
昭和12年(1937年)5月、
斎藤茂吉
は船で鳴門海峡を通り、洲本に向かったようだ。
湊より淡路の島を横ぎれば鳴門うづしほ見ることもなし
酒宴
(さかもり)
にもろごゑ響き洲本なる旅の宿りに一夜いを寐ず
『寒雲』
昭和34年(1959年)、
水原秋桜子
は鳴門の渦潮を見に訪れた。
鳴 門
磯魚の五彩の春や舟生簀
(ふないけす)
樟若葉鳴門つゞきに潮蒼し
若布刈舟
(めかりぶね)
出でて飛燕の土佐泊
海潮のこゑあげ迫り霞みたり
遠潮も渦押し流す松の花
渦群れて暮春海景あらたまる
若布干す香にむせびけり土佐泊
『旅愁』
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