このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

今年の旅日記

西光寺〜芭蕉の句碑〜
indexにもどる

阿波市阿波町稲荷に 西光寺 (HP)という寺がある。

西光寺楼門


西光寺は 行基菩薩 開基と伝わる古刹。

高野山真言宗 の寺である。

 紫雲山菩提院西光寺の本尊は阿弥陀如来で、弘法大師坐像他を祭っています。もと中野村道灌にあったものが、天正10年(1582年)長宗我部元親の兵火で灰じんに帰し、現在地から —— 不明 —— 再建されました。

 その後、失火によって焼失、そこで明暦3年(1657年)宥祥法印によって現在地に再建されたとのことで、住職過去帳には中興開基と誌され、それ以前のことは不明です。

 文政8年(1825年)宥光法印のとき、玄関と庫裡を再建し、天保5年(1834年)より8年まで3年有余を費やして楼門、納屋・土蔵を建立しました。

 また昭和59年11月27日に有形文化財として山門(1棟)、「この種の楼門は県下には数棟数えられるが阿波郡では唯一である。」工芸文化財として弘法大師坐像1躯、県内弘法大師像中古さの点で五指に入るものと思われる。」が町文化財として指定された。

阿波町教育委員会

紫雲山菩提院西光寺


境内に 芭蕉の句碑 があった。


介ふ者可り人もとし与礼初時雨

出典は 『韻塞』 (李由・許六 共編)。

  『旅舘日記』 (許六編)には「十月三日旅亭をたゝれける日初しくれふりけれは」と前書きがある。

 元禄5年(1692年)10月3日、赤坂彦根藩邸中屋敷で開かれた五吟歌仙の発句。

 この句碑は一名年寄塚または時雨塚と呼ばれます。地元の俳人・大霞庵月燭が、嘉永4年(1851年)6月に当寺の門前に建てました。

「この碑は最初山門右側にあった宥寛(嘉永4年没)の墓の斜前に立っていたが、昭和56(1981年)に一度移動、そして平成の大改築の際に今の位置へ移した」

—第20代住職・澤弘師の話

 碑は高さ1.1m、幅35cm、厚さ17cmの青石の自然石です。 表面に変体仮名まじりの表記の句を3行に、左側面に3節からなる小文を、裏面に建碑の由来を5行に刻んでいます。

 流麗な筆跡は建立者・大霞庵月燭です。

西光寺(HP)より

 2005年4月1日、阿波町は、市場町・吉野町・土成町と合併して阿波市阿波町となった。

今年の旅日記 に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください