このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2004年
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銀座
〜啄木の歌碑〜
東京メトロ銀座線銀座駅を出る。
三愛
和光
撮影:草苅宏行
中央通りを行く。
みゆき通りに入ると、朝日ビルの前に
石川啄木
の歌碑がある。
石川啄木の歌碑
京橋の瀧山町の
新聞社
灯ともる頃のいそがしさかな
歌碑の下に説明が書いてあった。
石川啄木 が瀧山町の朝日新聞社に勤務したのは明治42年3月から45年4月13日27歳でこの世を去るまでの約3年間である。この間彼は佐藤真一編集長をはじめとする朝日の上司や同僚の好意と恩情にまもられて、歌集
『一握の砂』
、『悲しき玩具』、詩集『呼子と口笛』など多くの名作を残し、庶民の生活の哀歓を歌うとともに時代閉塞の現状を批判した。
銀座の人びとが啄木没後満60年を記念して朝日新聞社跡に歌碑を建設したのは、この由緒によるものである。
昭和48年4月1日
日本大学教授 文学博士 岩城之徳
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