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私の旅日記2010年

兵庫島公園〜若山牧水の歌碑〜
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東京都世田谷区玉川3丁目に兵庫島公園がある。


兵庫島公園から見る東急田園都市線


兵庫島の由来

  正平13年(1358年)に 新田義貞 の子義興が足利基氏を討ち、新田家再興を目指して、従者13人と上野(群馬)より兵を進めた。ところが、多摩川稲田 矢口の渡し で、敵の策略とは知らずに、さし向けられた船に乗ってしまう。この時、渡し守りは、かねて仕掛けられた船底の栓を抜き逃げ去った。同時に両岸からは、数百の軍勢が時の声をあげて矢を射掛けた。

 兜、よろいの武士たちは身動きがとれない。もはやこれまでと義興は、自害してしまうが、従者たちの中には、対岸まで泳ぎ着き、群がる敵兵と戦い自害して果てる者もあった。その中の一人でもある由良兵庫助が流れついたのが、兵庫島の名の起こりという。

 村人たちは、わざわいが起こらないよう供養し、それ以降、不思議なことに、この中州はどんな洪水の時でも、流されることがなかったと伝えられる。

世田谷区

昭和59年(1984年)4月、「多摩川八景」選定。

 「多摩川八景」は源流から 「奥多摩湖」 、「御岳渓谷」、「秋川渓谷」、「玉川上水」、「多摩大橋付近の河原」、「二子玉川兵庫島」、「多摩川台公園」、「多摩川の河口」の八景。

兵庫島公園に若山牧水の歌碑があった。


多摩川の砂にたんぽぽ咲くころはわれにもおもふ人のあれかし

出典は牧水の第4歌集『路上』。

 第4歌集『路上』は明治43年(1910年)1月から同44年5月までの作約500首を収録。明治44年(1911年)9月12日発行。

他にも多摩川を詠んだ歌が収録されている。

かのをとめ顔の醜し多摩川にわか草つみに行かむとさそふ
多摩川の浅き流れに石なげてあそべば濡るるわがたもとかな
春あさく藍もうすらに多摩川のながれてありぬ憂しやひとりは
かへるさは時雨となりぬ多摩川の川辺の宿に一夜寝しまに

昭和63年(1988年)3月、建立。

 『若山牧水歌碑インデックス』(榎本尚美、榎本篁子著)によれば、全国で153番目の牧水碑である。

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