このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2012年

独協医科大学〜水原秋桜子の句碑〜
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 壬生町北小林の独協医科大学に 水原秋桜子の句碑 が3基あるというので、行ってみた。


明治9年(1876年)6月7日、ベルツ博士来日。

明治14年(1881年)、独逸学協会創立。

昭和48年(1973年)4月1日、独協医科大学開学。

独協医科大学中庭に水原秋桜子の句碑があった。


礎はゆるがず雲雀あがりけり

昭和48年(1973年)4月1日、建立。

『秋櫻子句碑巡礼』(久野治)によれば、第53番目の秋桜子句碑である。

昭和49年(1974年)、大学病院開設。

大学病院前の庭に2つ目の秋桜子句碑があった。


花の下にやまひを救ふ手を組まむ

第17句集『殉教』所載の句。

昭和52年(1977年)6月6日、ベルツ博士来日100年を記念して建立。

第66番目の句碑である。

大学正面玄関の庭に3つ目の秋桜子句碑があった。


生誕の夜の寒星を仰くへし

 ベルツ博士生誕125年を記念して独協ベルツ協会誕生。これを祝して詠まれた句。

昭和56年(1981年)3月31日、ベルツ博士生誕130年を記念して建立。

第83番目の句碑である。

昭和56年(1981年)7月17日、秋桜子没。享年88。

独協医科大学のドクター・ヘリ


今しも出動するところであった。

平成22年(2010年)1月20日より大学病院を基地病院として運航。

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