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私の旅日記2006年

寂光の滝〜若子神社〜
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国道120号から田母沢沿いの細い道を行き、寂光の滝に向かう。


寂光の滝は女峰山(標高2,483m)の登山口にある。

駐車場に車を停めると、若子(じゃっこ)神社の鳥居があった。


 弘仁11年(820年)、日光を訪れた弘法大師空海は滝尾神社を開き、次いでこの奥の寂光の滝で修行した。

 夢の中で女神のお告げを受け、ここに祠を建てたと伝えられる。

 室町時代には寂光寺の七堂伽藍が立ち並び、釘念仏道場として繁栄した。釘念仏のお札は現在も輪王寺で受けることができる。

 明治以降「若子神社」と改められた。祭神は下照姫命。祭日は10月30日。

若子神社


 文明18年(1486年)、道興准后は滝尾神社で寂光の滝を見ている。

瀧の尾と申し侍るは無雙の霊神にてましましける。飛瀧の姿目を驚し侍りき。

  世々をへて給ふ契りの末なれやこの瀧の尾の瀧のしら糸


 永正6年(1509年)、柴屋軒宗長は滝尾神社を訪れている。

 明くる日、本堂権現拝見して、滝の尾といふ別所あり。滝の本に不動堂あり、滝の上に楼門あり、回廊あり、右にみなぎり落ちたる川あり。松吹く風、岸打つ波、いづれを分きがたし。


 元禄9年(1696年)、天野桃隣は寂光寺を訪れ、寂光の滝を句に詠んでいる。

 寂光寺、日光ヨリ一里。本尊弁財天、外権現堂、左の方に滝有。

   ○千年の滝水莓(こけ)の色青し


杉木立の間に寂光の滝が見える。


寂光の滝

 高さ50メートル、幅6メートル、7段になっている。昔から名瀑として知られ、「布引の滝」「七滝」などの別称をつ。「寂光瀑布」として「日光八景」の1つに数えられている。

寂光の滝


下から見上げたのでは、7段になっているのは分からない。

 元文3年(1738年)3月22日、山崎北華は江戸を立って『奥の細道』の足跡をたどり、4月1日寂光の滝を見ている。

御山御社に詣で。瀧の尾。清瀧。寂光。などめぐり見。水澤の茶屋に到る。此處。田樂の名物なるよし。

   卯の花の隣も白し豆腐串


 宝暦5年(1755年)5月、南嶺庵梅至は寂光の滝で句を詠んでいる。

   寂光の布引

布曳や晒春なる瀧の壺


 明和元年(1764年)12月10日、内山逸峰は寂光の滝で歌を詠んでいる。

 寂光の滝 にてよみ侍りける。

   音はなを(ほ)増り社(こそ)すれ山ふかみしづかにひかる滝の名にして


 明和6年(1769年)4月、蝶羅は嵐亭と共に寂光寺を訪れ、寂光の滝を句に詠んでいる。

   寂光寺  おくに瀧あり

白滝や水鶏のたゝく釘の音
   嵐亭

したゞりや瀧へ打込釘の音
   蝶羅


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