このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
〜
2014年
〜
観音寺
〜各務支考〜
小矢部市観音町に観音寺という寺がある。
前田家ゆかりの地
元々は市内五社にあった宝幢山本覺山観音寺と言う。天正17年(1589年)、地震により今石動(現在地)に移転し、前田利秀の祈願所となる。その際、利秀から、父秀継伝来の天満大自在天神(別称 網敷威徳天神)の図像が寄進され町の安穏発展を祈願した。
5月に天神信仰による祭りが行われ、各町内の獅子舞が奉納され「獅子盆」と言う。発端は、利秀が今石動寺城に入城した際、住人が獅子舞をして歓迎したことによると伝承している。
高野山真言宗
の寺である。
観音堂
右手に三重塔ががあった。
元禄14年(1701年)6月、
各務支考
は今石動を訪れ、3ヶ月間観音寺住職濫吹のもとに滞在した。
濫吹の句
人肌にいけおほせたる火桶かな
『
俳諧
草庵集』
種物のあまれは母の所帶かな
『東西夜話』
各務支考の句碑
蝉の羽も暮れて杉間の月ほそし
『東西夜話』
に「宿觀音寺」とある。
本堂の裏に「獅子塚」があった。
小矢部市の文化財である。
正徳5年(1715年)、各務支考は観音寺に姿を隠し自ら死んだとして追善集『阿難話』を出す。
享保2年(1717年)、観音寺に獅子庵を建てる。
享保5年(1720年)まで観音寺に滞在した。
「獅子塚」の右手にも支考の句碑があった。
六月にひやりと見たし青瓢
『東西夜話』
には「六尺に」とある。
「私の旅日記」
〜
2014年
〜に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください