このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
深専寺
〜大地震津なミ心え之記〜
湯浅町湯浅に深専寺という寺がある。
深専寺山門
西山
浄土宗
の寺である。
山門の左手に「大地震津なミ心え之記」があった。
大地震津なミ心え之記
嘉永七年六月十四日夜八
ツ
時下り大地震ゆり出し翌十五日まで三十一二度ゆりそれより 小地震日としてゆらざることなし 廿五日頃漸ゆりや
ミ
人心おだやかになりし
ニ
同年十一月四日晴天四
ツ
時大地震凡半時ばかり瓦落柱ねぢれたる家も多し 川口よた来たることおびたゞしかりとも其日もことなく暮て翌五日昼七
ツ
時きのふよりつよき地震にて未申のかた海鳴こと三四度見るうち海のおもて山のごとくもりあがり津波といふやうな高波うちあげ北川南川原へ大木大石をさかまき家蔵船みぢん
ニ
砕き高波おし来たる勢ひすさまじくおそろし なんといはんかたなし これより先地震をのがれんため濱へ逃あるひ
ハ
舟にのり又
ハ
北川南川筋へ逃たる人のあやうきめにあひ溺死の人もすくなからず すでに百五十年前宝永四年乃地震にも濱邊へにげて津波に死せし人のあまた有しとなん聞つたふ人もまれまれになり行ものなれ
ハ
この碑を建置ものそかし 又昔よりつたへいふ井戸の水のへり あるひ
ハ
津波有へき印なりといへれどこの折には井の水乃へりもにごりもせざりし さすれ
ハ
井水の増減によらず この後萬一大地震ゆることあら
ハ
火用心をいたし津波もよせ来へしと心えかならず濱邊川筋へ逃ゆかず深専寺門前を東へ通り天神山へ立のくべし
恵空一菴書
山門を入ると、右手に芭蕉の句碑があった。
春の夜はさくらに明けてしまひけり
出典は
『翁草』
(里圃編)。
何時どこで詠まれた句か、不明。
『蕉翁句集』
(土芳編)は「元禄四未とし」とする。
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