このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2012年

日清講和記念館〜伊藤博文像・陸奥宗光像〜
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下関市阿弥陀寺町に春帆楼がある。


春帆楼に日清講和記念館がある。


 この記念館は、日清講和会議に使われた調度品類や貴重な資料などを公開するため、昭和12年に開館されました。

 展示品の中でも、特に椅子類はかっての浜離宮の調度で、ランプ、ストーブ、硯箱、インク壺、朱肉入れなどと共に、講和会議の様子を今に伝える貴重な資料です。

 明治28年(1895年)に、隣接する春帆楼を会場に行われた日清講和会議は世界の外交史に残るもので、日本全権弁理大臣伊藤博文と清国講和全権大使李鴻章の2人を中心に両国の代表2名が列席して和議交渉を行いました。

 なお、この交渉の途中で、清国全権李鴻章が暴漢によって狙撃され、負傷するという事件も発生しました。

下関市教育委員会

会議の部屋


伊藤博文像・陸奥宗光像


 日清講和会議において日本側の全権を務めた伊藤博文及び陸奥宗光の胸像。当時、伊藤博文は内閣総理大臣、陸奥宗光は外務大臣の要職にあった。

 この作品は昭和12年(1937年)6月の日清講和記念館の開館に前後して制作され、戦前は館内正面に展示していた。

 作者は山口県平生町出身の彫刻家河内山賢祐。伊藤像は昭和12年、陸奥像は昭和13年の作。

昭和12年(1937年)7月7日、盧溝橋事件勃発。

昭和13年(1938年)7月、 山口誓子 は春帆楼を訪れた。

 私は春帆楼の古びた玄関に近づいて行つた。そこには誰もゐなかつた。恰好のいい樹木が立ち並んで、実に森閑とした玄関であつた。よく見ると傍にテーブルが置かれ、日清媾和談判場などの絵葉書を売つてゐるのであつた。私はその絵葉書を欲しいと思つた。

『東京日日新聞』(昭和13年7月27日)

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