このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2011年
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「武田勝頼公之像」
〜西行法師の歌碑〜
甲斐大和は「武田氏滅亡の地」。
甲斐大和駅前広場に「武田勝頼公之像」があった。
武田勝頼公之像
武田勝頼公之像の由来
天正10年3月、武田勝頼公ひきいる武田軍は織田・徳川連合軍との戦いで天目山栖雲寺を目指したが、田野の地でにおいてあえなく武田家の終えんを迎えた。
甲斐国主である武田勝頼公の遺徳を偲び末永く後世に伝えるため、大和村制60周年記念事業として各位のご協力を得て、ここに「武田勝頼公之像」を建立する。
平成14年3月
甲州市立大和中学校に西行法師の歌碑があった。
甲斐が根の麓の原はみな暮て夕日残れるはじかのゝ山
文治2年(1186年)、
西行
は東国行脚の折に駿河から甲斐に入った。
68才の時である。
昭和51年(1976年)3月、小林多禄建立。清水茂夫書。
明治36年(1903年)、東山梨郡初鹿野村に初鹿野駅開業。
昭和16年(1941年)、初鹿野村は鶴瀬村・日影村・田野村・木賊村と合併し、大和村となった。
平成5年(1993年)、初鹿野駅は甲斐大和駅に改称。
平成17年(2005年)11月1日、大和村は塩山市・勝沼町と合併して甲州市となった。
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