このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2008年
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甲州街道
〜一里塚跡〜
今日は大月の甲州街道を少し歩いてみる。
富士急行の線路を越えると、国道20号は大月橋の手前で国道139号と分岐する。
分岐点に追分の道標が3つ並んでいた。
一番大きい右の道標には中央に「南無阿弥陀仏」と書いてある。
右
甲州道中
左
富士山道
大月橋を渡ると、山百合が咲いている。
国道20号の左側に一里塚跡があった。
江戸から24番目24里(約94.2キロメートル)を示すもの。かつて大月市内にあった一里塚中、その存在が確認される唯一のもの。
正面に「南無阿弥陀仏」碑と庚申塔
天保14年(1843年)6月、「南無阿弥陀仏」碑建立。
裏に作者不明の句が刻まれている。
念仏に際限はなし閑古鳥
「南無阿弥陀仏」碑の左に芭蕉の句碑があった。
しはらくは花の上なる月夜かな
出典は
『初蝉』
(風国編)。
元禄4年(1691年)春、芭蕉48歳の句。
『蕉翁句集』
(土芳編)には「よし野にて」と前書きがある。
天保13年(1843年)7月、建立。
『諸国翁墳記』
に「
□□塚 甲州都留郡花咲宿 井上亀叟建之
」とある。
国道20号をさらに行くと、右側に星野家住宅があった。
重要文化財 星野家住宅
星野家は、
甲州街道
下花咲宿(現在大月市大月町花咲)にあって、江戸時代本陣、庄屋、問屋をつとめた旧家である。
現在の主屋は天保6年(1836年)焼失したものをその後再建したもので、建物が豪壮である許りでなく、意匠など本陣建築の性格をよく表しており、後世の改変も少なく細部まで当初の形態を残した貴重な遺例である。
参勤交代の大名が本陣として使用し、また明治13年6月18日(1880年)明治天皇が民情視察のため甲州街道をご西下の砌、「御小休」として使用された上段の間も当時のまま残っており、戦前は史跡に指定されていた。
山梨県教育委員会
大月市教育委員会
星野家住宅をアップで写真を撮る。
本陣の碑
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