このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
そんなんで終わる訳ないですよね〜
ここもgoogle対策のためスポット名などは出しません。写真も名称等が載っている物はモザイクを掛けます。このHPのトップからこのページを嗅ぎ付けてここにこない限り、ここがどこだか分からない様にしますので、ご了承ください。
さて・・・、山越え×、沢×と来れば最早この選択を取らざるを得ない。
行くしかないっしょ、この道を!!
第二弾で敗走のきっかけになった施設は↓
沢に降りた時に撮りました。今日は稼動してませんでした。
そう、稼動してなかったのでひょっとしたら大丈夫なんじゃないかな、と思ったのがきっかけ。大丈夫そうとあれば行くしかない。
例の施設近影
テクテク歩く。途中作業員小屋があり、ソロソロと近づき誰も居ないことを確認。さらに突き進む。
頂点までの途中。ちょうどここは第二弾で橋から写した写真で言うと、一番天辺の白い部分よりやや下、灰色っぽい部分です。ひたすらここを登ります。この写真は、来た道を振り返って写してます。
最後の直線。この直線は第二弾の橋から写した写真で言うと、頂点部分の白っぽい所です。そして・・・
最後の直線の終わり、いよいよ頂点です。上の方で載せたこの施設の近影通り、かなり高さのある施設です。下から上まで約100mほどありました。100mの高さもある何もない山間の謎の施設。それが何なのか、この頂点に立てば何なのか分かるはず。誰も居ない事を確認していざ・・・
そう、頂点に立てば全て分かるはずだった。その予定だった・・・
!?
ここであえて使わせてもらいたい。某有名刑事ドラマ、「○○にほえろ」で松○○作が殉職する時に放った言葉を。
な・・・なんじゃこりゃあぁぁ!?
薄気味悪い色の泥が堆積している。考えるにこの変な泥とこの施設は何か関係しているんだろう。しかし何なんだろう、この泥は。どこからこんなに来たのだろうか。それを押さえ込むかのようにあるこの施設。何故か観光地に立てるような案内板が立っていたのでそれも写す。
明らかに場違いな看板。立ち入り禁止にしておいて、これを読んで「ほうほう」と頷く奴が何人居るんだろうか。
しかし、看板を読んでもこの泥が何なのか分からない。看板の説明だとここは炭鉱から出た廃石の捨て場らしい。この頂点に登るまでに歩いて来た道の下に廃石が埋まっていると案内板には表示されているが、じゃこのヤバい色の泥は何なのだろうか。その説明は看板を見るに書いてなかった。素人判断でどうみても、害のある泥としか思えないのだが・・・。そしてこの施設、廃石場と言うより かこのヤバイ泥を、廃石で必死に押さえ込んでいるとしか思えないのだが・・・。
上の上の写真に桟橋が写ってますよね。せっかくなのでそこに降りてみました。
施設的には新しいので、そんなに恐くない。
桟橋の終点から振り返って撮影。
上に同じく、桟橋の終点から撮影。
桟橋の先を撮影。どうやら奥の方では水があるみたいです。
桟橋自体を振り返って撮影。木の板が折れるって言うアクシデントは若干想像しました。っても、腐っては居ないので大丈夫でした。まぁ・・・、大丈夫じゃなかったら、まずこのページを書けてないでしょうからね・・・。
頂点に戻り、頂点にある施設を撮影する。
ほったて小屋と簡易ロープウェイ。頂点にある施設はこれしかありませんでした。あとは観光地でも無いのに立っている、謎の案内板だけですね。そして頂点部分の横の長さが、この写真で分かるかと思います。まるでダムですね。汚い泥をせき止めるダム。
そして、上のほったて小屋の写真の逆方向にこの泥の湖畔(?)沿いに歩く作業道があったので、行ってみる。
何があるのかな・・・
途中風景
毒々しい泥と水の接点。泥の尋常で無い色と、水の透明感が対照的です。しかし・・・、どうしてここまで対照的なのだろう。こんな泥、今まで見た事が無い・・・
そして道行く途中でこんな物がありました。
写す角度が悪くて自分で言うのも何ですが、分かりずらいです、ごめんなさい。解説入りで説明しますと・・・
写真だと平面なんで分かりづらいんですが、斜面に平坦な道が築かれていて、そしてこの朽ち果てそうな木製の橋に繋がっています。人為的に作らないとこう言う幅の道と言うのは出来るはずが無いので、人為的に削って作られた道だと思います。そしてそこに掛けられた橋。今の状況だと、この道も橋もこの湖の水位が増せば水没する様な位置にあります。これは何なのか。
その鍵を握るのが足尾探索第二弾でもちょろっと出た、○○湿地。そう、ここで今回の探索の実際の行程図を載せますと・・・
行程の一部抜粋です。全て出してしまうと、すぐに場所が分かってしまうので。赤線が歩いた所です。表ページで何度かこの地図を出しているので、足尾探索ページを見ている方ならここがどこだか、モザイクで隠していてもすぐ分かると思います。そう、この泥の湖、そこは間違いなく○○湿地。ここには昔、この湿地がありそして上の写真の道や橋は、その散策のための散歩道だったのではないか、と。
ここでこの湿地について調べてみるが、全くもって情報が無い。ただ、国土地理院によると確かに○○湿地と言うのが存在している事になっている。しかし、その他この湿地についての情報が書かれているような所は何も無い。要するに国は存在を認めてるけど 、それだけ。インターネット人口も多くなっているだろう今の時代に、ネット上にある情報はこれしかない。遊歩道も作られるような湿地の情報が何も無いのは何故か。そして、どうしてこの湿地はこの毒々しい泥の溜め場になってしまったのか。まさに謎だらけ。
途中、湖畔へと降りられそうな道が作ってあったので行ってみる。写真で言うと右の崖下へ降りて行く道を降りて行きました。
湖畔に辿り着く。この写真だけだと、この先にあの施設と毒々しい泥が堆積しているとは思わせないような風景。のどかです。どっかの普通の湖畔でもありそうな風景ですが・・・
水際はこの湖が、普通の湖じゃない事を語ってます。尋常で無い汚さ。ここは都会でも何でもない、山間のある地点です。その山間にここまで汚染された場所が確かにあります。
この湖畔に捨ててあった空き缶。やけに新しいですね。同じような輩でもいるのかな。それともこの施設の作業員が飲んだ物かな・・・
湖畔を別アングルから撮った写真です。あの施設が写るように撮りました。この湖畔がかなり広い面積だって事が分かるかと思います。
この後、行き止まりに辿り着いたので戻りました。上の方に載せた一部行程図を見て分かる通り、○○湿地の北の端がこの道の終わりでした。そして、この泥の湖の北の端もまさしくそこでした。
施設の頂点に戻り、足尾探索第二弾でこの施設を撮った橋を、今度はこの施設からその橋を撮影。
と、淡々と写真と簡易な説明だけ付けて載せてきましたが、ここから自分なりに思う事をここから書いて行きます。
まずこの毒々しい泥。これはいったい何なのか。ただの泥ではないのが、写真から見ても分かると思います。こんな色の泥、今まで見た事がありません。確かめる術も無いので、想像で書くしかないのですがこの泥も、鉱山が残した負の遺産なんだと思います。恐らくこの泥は本当に毒を持った危険な泥なのだと。それをここに留めているのだと。
実は、チャリを買ってどこに行こうかなって考えてた頃、この「○○湿地」を調べた事があるんですよ。車で行けそうにも無い場所で、チャリだからこそ行けそうなこの場所が魅力に感じられて。
そしてその時、○○湿地について調べた時は確かに、この湿地に関しての情報がありました。上の方で「湿地に関しての情報が無い」と書きましたがそれはこのページを書いている2005/05/09時点での事で、チャリを買ってこの湿地に行こうと思い調べた時にはこの湿地に関しての情報がありました。鮮明に覚えている訳ではないので、確かな事は言えないのですが湿地の写真も載ってて、そこには枯れ笹が写っていたような記憶があります。
しかし、前述の通り今調べるとこの湿地についての情報はありません。それが何故なのかは分かりませんが、情報が出た当時と同じ調べ方で調べても何も出ない。これは何故なのか。
ここで、無償提供されている航空写真を拝借する。
図のど真ん中に写っているのがこの施設。まるでダムですね。そして、この写真が撮影されたのが1999年。俺がチャリを買って○○湿地を調べたのが2005/03初頭。情報が見つからなくなっている状態の、このページを作っている時点は2005/05。ここでこの施設が出来たから、○○湿地についての情報が無くなったと言う結論にも無理と言う事になる。この施設自体がそこそこ前から存在しているのは、この写真から明らかだから。となると、何故○○湿地についての情報が無くなってしまったのか。これは全くの謎である。謎を解くきっかけとなり得る物が、このページを作っている2005/05/09の時点では全く見当たらない。
ここでいったいこの泥がどれくらいの量なのか簡易だが偶然、分かる術を得たので計算してみる。
実はこのページの冒頭の方で、施設から伸びる桟橋に行ったと言う事が書いてあると思いますが、実は桟橋の終点でGPSに位置を記憶させてありまして。何となく記念に記憶させて置いたのだけど、その地点のGPS標高と地図上の標高で深さが分かるので、 後は地図から横と縦の距離を計算すれば、簡易ながら体積が出せる。何となく記憶させて置いてよかった・・・。別に何かのためでもなく、ホント、なんとなくだったんだけどね・・・
と言う事で計算して見ると、南北縦280m×東西横250m×深さ33m=体積 2310000㎥。
横はこの施設の横幅、深さは桟橋でのGPS標高と地図上の標高の差。縦は地形がいびつなので妥協せざるを得ない。この辺まで泥が有ったなって言う地点までの直線距離です。弾き出された数値が膨大すぎて想像がつかないですね・・・。ただリアルな数値としては深さ。この毒々しい泥が桟橋の終点地点で大よそ33mも深さがあると言う事。とてつもない量ですわな・・・。
また、この施設の立地、これも何故こんな所に作ったのか謎ですね。航空写真を見ても分かる通り、この施設の下流にはすぐ街があります。もし、この施設が崩壊しこの泥と施設の建材が土石流となって下流に一気に流れたら・・・。
またこの施設の建築方法も非常に危ういです。現地に合った案内板を鵜呑みにするにこの施設はほぼ全て、廃石と砂利で出来ています。もしここで、最近なぜか頻繁に起きている大地震が発生し、豪雨が重なった場合ここは耐えられるんでしょうか。耐えられなかったら下流の町は・・・。そして流れてくる物は廃石と砂利だけならまだしも、毒の泥まで流れてくる訳で。とんでもない被害になってしまうでしょう、もしもこれが起こってしまった時は・・・。
謎ばかりが残ったこの施設。ただ、この状況を目の前にしたからこそ言える確かな事もあります。それは、この公害は終わっていないのだと言うこと。学校だとこの公害はもう、過去の物の扱いになっております。が、しかし、現実はこれです。本当は終わってなんかいやしない、今もなお、その公害は害を出し続け、この様に現実に存在しているのですから。
この地の真実を確かにこの目で見た気がします。誰も教えてくれない、そして教えようとはしない本当のここを。表で植林などの復興が進む中、今もなお、負の遺産を出し続けているこの地の今を・・・。
探索日
2005/05/08
探索時間
12:00〜15:00
2005/09/01 追記
このページを作成してからいろいろと調べた結果、この施設は紛れもなく廃石場である事が分かりました。稼動開始は昭和35年。それから今までずっとここは、廃石場として稼動しているようです。しかし、昭和35年制にしては、時代を感じさせないダムその物の見た目や施設があります。これは想像なのですが、廃石が溜まるほどにダムの高さを高くしていったのではないかな、と。
また、以前書いた2005/03に○○湿地をネットで調べた時に出た結果と言うのはもうその当時からこの廃石場は当たり前のように稼動しているので、2005/03時点で○○湿地の情報を見たと言うのが勘違いが、その情報その物が嘘だったって事になる。
そしてこの廃石場の立地はやはり問題になっているらしく、ネット上で確認が取れました。
2005/09時点で分かった範囲は以上です。他にも何か判明次第、ここはその都度更新したいと思います。
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