このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
詳庵寿参尼
武田家の家臣の家に生まれ、保科家に仕えた後、大河内松平家の祖とも言うべき大河内松平信政の妻となった方です。
と言う訳で、この方も武田、保科ゆかりの人物ですね(笑)。
大河内松平家は、信政-信貞-秀綱-正綱-信綱と続いておりまして、信綱の祖父秀綱の祖母と言う事になります。
ただ、ものによっては秀綱の母であるとされていたり、信政の継室であるなどとされております。
寿参尼が亡くなられたのが1595年、大河内家で平林寺に葬られた最初の人物です。
当然ながら武田、保科両家に縁があるといっても、見性院様の供養墓を建てたのはこの方でもありません(笑)。
この後、大河内松平秀綱が1618年に亡くなった時にも平林寺へ葬られ、以後平林寺は大河内松平家の菩提寺となります。
「寿参尼」で検索を掛けたらこんなページがヒットしました。
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には愛知県西尾市にある金剛院の宝篋印塔の画像があります。
左から大河内信貞、信貞夫人とされている寿参尼、大河内秀綱の墓塔です。
下の画像は平林寺にある見性院様の供養墓ですが、妙に似ていませんか?
時期による流行などもあるのかもしれませんが、これらの墓は酷似していますね。
見性院様の供養墓は大河内松平家の関係者が建てたのでしょうか?
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