このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

松井田 補陀寺


信越本線西松井田駅の近くにある 補陀寺 です。
中山道に面して山門があります。



山門には「関左法窟」と書いてあります。



曹洞宗のお寺で、会津の善龍寺の根源である保科正直が創建した下総多胡の善龍寺も、
内藤昌月が再建した上野生原の善龍寺もこの寺から僧侶を招いて作りました。
山城である松井田城の山麓にあり、この場所には大道寺政繁の居館があったとも伝わっています。



本堂前の石庭も綺麗に掃き清められています。



境内にある大道寺政繁の墓です。
大道寺政繁は北条家の有力な武将で河越城や松井田城の城主を務めていました。
豊臣秀吉の小田原の役の際に、前田利家、上杉景勝、真田昌幸等の北国勢35000を相手に松井田城に篭り抗戦。
1ヶ月以上の籠城戦の末、落城間際に降伏しました。
その後、案内役として豊臣軍の先陣を務めさせられたにもかかわらず、小田原の役の戦後処分で切腹させられました。
この事から、加賀前田家の大名行列が門前の中山道を通ると、この墓は悔し汗をかくと伝わっております。

また、大道寺政繁の曾孫にあたる大道寺友山は客分として会津藩にいたこともあります。



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