このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

品川台場


幕末に会津藩が守備に就いた品川台場の跡に行って来ました。


お台場への交通手段にゆりかもめを選択すると、汐留駅を出てすぐ、進行方向に向かって左側に浜離宮が見えてきます。
浜離宮の手前が会津藩中屋敷の跡地になります。


ゆりかもめの車内からは柵があるので少し見づらいですが、レインボーブリッジのすぐ近くに台場があります。
最寄り駅はゆりかもめの「お台場海浜公園」駅で、駅から台場の入口まで900メートルくらいです。
現地の地図は これ

上の写真は台場近くの砂浜から撮ったものです。
中央に映っているのが第三台場、その後ろの橋がレインボーブリッジになります。

現在残っているのは第三台場と、第六台場のみで、会津藩が守った第二台場は取り壊されてしまいました。


現在の第三台場の入口です。
江戸時代は完全に海中にあったのですが、現在は公園化され入口まで地続きになっています。


内部の写真を2枚。
中央の窪地に見えるコンクリートの部分に陣屋があったそうです。


砲台の跡です。


現在の入口から対角線の延長線上、ちょうど写真の方角に会津藩が守備を担当した第二台場がありました。
今は取り壊されて海になっています。

現代書館から発行されているシリーズ藩物語『会津藩』によると、安政2年の大地震ではこの第二台場でも多数の犠牲者を出したそうです。
建物が潰れ、即死は逃れたものの中に閉じ込められてしまった藩士が「もう助からぬ」とばかりに腹を切り、
たまたま外にいて難を逃れた人に、形見として家族に渡して欲しいとその刀を託したとか、
受け取った方も台場ごと吹き飛ばすだけの火薬が貯蔵されている火薬庫に引火する可能性が高かった為に、
救助を諦め泣く泣くその場を離れるしかなかったとかいう話があったそうです。

お台場を訪れる時には、そんな事も思い出していただけたらと思います。
第三台場の突端から、第二台場があった方角に向かって手を合わせてきました。


第三台場から見た第六台場です。
第六台場は現在でも完全に海中にあり立ち入り禁止になっています。


台場として使われていた当時の入口です。
柵が立っていて、当時の船着場には出る事が出来ませんでした。
柵の向こうにはゴミが散乱しています。


火薬庫の跡です。
確かに、こういうところが崩れてしまうと、助け出すのは困難かもしれません。


帰りのバスから撮った写真です。
レインボーブリッジには写真のように遊歩道がついているため、台場を上から眺めることが出来ます。
今回は早朝に訪れた為、残念ながら遊歩道に入ることは出来ませんでした。
4月〜10月はは9時から開放とのことです。




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