このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

高幡不動


京王線高幡不動駅を降り、右手にある参道を進むと突き当たりに 高幡山明王院金剛寺 、通称高幡不動があります。


境内に入りすぐ左手に、両雄殉節の碑が建っています。
この碑は土方歳三、近藤勇の功績を称えたもので、選文は元仙台藩の儒者大槻磐渓、筆者は松本順、そして篆額を揮毫したのは松平容保公です。


両雄殉節の碑のすぐ脇には土方歳三の像が立っています。


不動堂は1342年に移建された東京都最古の木造建築です。


井上源三郎の脇差、土方歳三の東照大権現の旗印、榎本武揚や大鳥圭介の書など奥殿には数々の寺宝が展示されています。
その寺宝の中に一つだけ会津松平家から寄贈されたものがあります。
写真撮影禁止なので画像を御紹介する事は出来ませんが、下記のような説明書きがありました。


「特別出品」

菊花金蒔絵

棗(なつめ) 銘「山路」 桃山時代

奉納 会津松平家十三代当主

松平保定殿


由来

菊花金蒔絵棗(なつめ)銘「山路」は美濃高須藩松平家伝来、

江戸末期松平容保公が会津松平家の養子となられた折、

持参された豊公時代の逸品である。

此の度ご当主松平保定様から土方歳三菩提寺高幡山に納入された。


目録

一、棗 銘「山路」壱個

右松平家伝来の品

寄進申し上げます。


平成十六年十二月一日

會津松平家十三代

松平保定 花押

高幡山金剛寺殿


容保公から保男様、保男様の御息女徳川和子様を経て、形見分けとして現御当主の手元に渡ったものだそうです。
自分は、茶器に関しては全くわからないのですが、あの激動の時代、高須藩から会津へと容保公と共に常にあったと言う事に思いを巡らせると非常に感慨深いものがあります。
たまに展示替えをするようなので、見られるかどうかは運次第です。
2005年10月3日に訪れた際にも、2006年2月25日に訪れた際にも展示してありましたが・・・。

一番奥に大日堂があります。
大日堂には、鳴り龍、伝左甚五郎作鳥追いの鷹、土方歳三、近藤勇、井上源三郎、沖田総司の位牌、新選組隊士之霊と書かれた牌、そして戊辰東軍殉難者霊位の牌があります。
現地に行ってお参りするのが一番ですが、ここに来れば東軍の全戦死者に対しお参りする事が出来ます。
なかなか現地に赴けない身としては有難い事です。

高幡不動の裏山(境内ですが)は、お手軽に八十八ヶ所巡りが出来るようになっています。
各地の神社に作られた小さな富士山のようなものですね。それの八十八ヶ所巡り版。
この裏山は元々高幡城と言う城跡であったと伝えられています。
浅川の渡河地点を監視する見張り台のような役割だったのでしょうか?

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