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その男、放浪癖につき・・・
あずさ2号 愛車列伝


私、あずさ2号の歴代の愛車と放浪遍歴をご紹介



原付以前

『三つ子の魂、百まで』と、言うがまさに自分の「放浪癖」が3歳の頃より始まる
親に連れられデパートへいったそうな。
その時、親から離れてデパートをふらつき、その後迷子センターへ。
親が迷子センターへ呼び出されてみたら、泣いてるどころかデパート大冒険にご満悦だったらしい。
恐らくこれが人生最初の『放浪』なのではないか?

4歳ごろに補助輪付き自転車を買ってもらう。
んで数日後には隣町へ旅立つ。

小1の頃に補助輪外れる。
その途端、千葉県から埼玉県へ『江戸川渡河作戦』決行。

中学卒業の頃にはチャリの行動範囲が首都圏全般に広がる。
乗ってるチャリがだいたいボロチャリなので良く警官に呼び止められた。
その際、住所を聞かれるわけだが警官の予想外の答えが出てビックリされる。
でも、家出をしてるわけぢゃないのよ

大学入ってからは『18きっぷ』旅行にハマる。
北は稚内、南は西大山
ふと「北方領土が見たい」と思いつき、冬の根室へ旅立ったりもした。

大学中退後、フリーターをしつつチャリへ原点回帰。
房総半島一周旅行にでた後、
チャリ放浪の集大成『東日本横断ママチャリ旅行』へ。
千葉から出発し茨城・福島・宮城・岩手・青森、
大間崎から函館へ渡り北海道を横断し宗谷岬へ。
そこから折り返し、帰りはフェリーで室蘭から青森へショートカット。
そこから今度は秋田・山形とすすみ、栗子峠を越えR4沿いに福島・栃木・茨城といったルートをとって
千葉へ帰還となった。


初代 
ホンダ デュオZX
(2000〜2002)


『東日本横断ママチャリ旅行』達成から数ヵ月後、とある飲み会で当時好きだった娘から
「あずさって原チャリ似合いそうだよね〜」
と言われる。

その次の日に原付免許試験問題集を買う。
2度目の試験でやっと合格。
でも、そのきっかけを作った娘にはフられる。

免許取得から一ヶ月ぐらいたった後、友人から原チャリを売ってもらう。
デュオZX
これが人生最初の愛車となる。
売ってもらった当日、初めて通る公道におっかなびっくりしながら走行したのは良い思い出。

一週間もすると運転にも慣れてきて、早速遠乗りを始める。
取りあえず最初に行ったのは犬吠埼。
5・60km離れた地に立った3時間程で着いてしまった事に感動した。

初めて通った峠は『箱根峠』。
最初は江ノ島を目的地に進んでいたはずが、ちょっと時間があったという事もあり
さらに足を伸ばして小田原へ、そしてそのまま箱根へなだれ込むってな感じでした。
免許をとって1月程の人間にとってタイトなカーブと急斜面はかなりハードだった。
さらに最悪な事に峠の途中でエンスト。
そのままの動かなくなってしまう。
それはもう涙目で小田原の街へ下りたとさ。
その後再び箱根へ挑んだが、またしてもマシントラブル発生。
なんというかしばらく「箱根には魔物が住んでいる!」とばかりに思い近づかなかった。
1年後、3度目の正直でようやく峠を越す事が出来た。

箱根以外では、筑波山とか富士山(料金所のおっさんが苦笑していた)とかを登っている。
乗り始めてから2年後、ムリが祟ってエンジンが完全に焼きつく。
しばらく玄関脇に放置されていたが、その後廃品回収トラックにドナドナされる。
合掌。


2代目
ヤマハ ジョグ
(2002〜2003)


ZXを売ってもらった友人から再びジョグを15000円で売ってもらう。
このマシンの第一印象は
「1年持ちゃ良いほうかな?」
事実約1年でご臨終。
それでも碓氷峠とか行っていたり


3代目
ホンダ デュオ
(2003〜2005・1)


先代のジョグがお亡くなりなったゆえに購入。
今回はちゃんとバイク屋で買った。
ちょうどこの時、コンビニ社員になったりしていて主に通勤用に使用される。
コンビニ社員というのはなかなかハードな職業で殆ど遊びに行くヒマが無かった。
それでも3時間ほど寝た後に新潟へ向け出発。
そのままとんぼ返りでまた3時間程寝てまた出勤、とムリヤリな事していた

ある日、家を出るとデュオは消えていた。
多分、東南アジアに売られたか、東京湾の底に沈んでいるだろう。


4代目
ホンダ トゥデイ
(2005・3〜2005・7)



職場の人に売ってもらった。
たった3ヶ月間しか乗っていないが自分の中では印象強く残っている。
土砂降りの安房峠をコイツで越えたのは忘れられない。
また、国道最高所峠・R292渋峠もコイツで越えている。
渋峠群馬側には火山ガスが噴出する横を通り過ぎるというトンでもない区間があるのだが、
そこの上り坂をパワーの無いトゥデイでトロトロ30kmで走った時、
まさにここは『酷道』だと思った。

ある日、家を出るとトゥデイは消えていた。
また、東南アジアに売られたか、東京湾の底に沈んでいるだろう。


5代目
ヤマハ アプリオ・タイプⅡ
(2005・7〜2006・2)



ちょうどバイク便採用の面接に行った次の日にトゥデイが消えてしまった。
これはマズイ!と思い即日バイク屋へ行って購入決定をした車である。
購入からちょっとたった後、なぜかHPを作ろうと思い
このサイトの最初の主役を飾る事になった。

恐らく日本で一番コキ使われた原チャリだと思う。
平日はバイク便、休日はスクーターなのにダート林道を走らされ
末期には廃道(大垂水峠)を走らされた。

購入からたった半年でボロボロとなり、精も根尽きた姿となっていた
2006年2月にカブに後を譲り、静かにバイク屋の奥へと消えていった


6代目
ホンダ スーパーカブ
(2006・2〜2007・3)




正直、なんで早くに乗らなかったんだろう?
カブに乗り始めて数日経つと、そう思うようになった。
超低燃費、頑丈、なかなかの走破力。
仕事に趣味に大活躍である。

R418・茨城県道218(一本杉峠)といった大物廃道を突破。
これからも数々の強敵に挑む事になるであろう。

また2006年10月に自動二輪を取得。
黄色ナンバー化の予定である。

2006年11月9日にめでたく黄色ナンバー(二種原付・乙)になりました

2007年3月24日にお亡くなりになりました
合唱。


7代目
ヤマハ XT250・SEROW



満を持して登場の250ccマシン。
今まで中古品の乗り潰しを繰り返していたので、
ここいらで一発頑張って新車を買おうと決める。

納車日には眩いばかりに輝いていたセローも
1週間後にはブレーキレバーをひん曲げて
3週間後にはクラッチレバーひん曲げ&ミラー破損と
しょっぱなからオフ車らしい経歴を重ねているw

自分の中で勝手に
『久呂井 瀬郎』
と言う名前をつけていたり。

ちょっと堅苦しい名前なので「せろーさん」と呼んでいます。

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