このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

小湊鐵道 海士有木駅


小湊鐵道は東京湾沿いの町の五井駅から房総半島中央部の上総中野駅を結ぶ
非電化ローカル私鉄である。
建設当初、房総半島を横断し『天津小湊』へと路線を延ばす予定であったが
資金不足で立ち往生しているうちに、国鉄木原線(現・いすみ鉄道)が開通。
上総中野で両線が接続する事により、房総横断鉄道の目的を達成する事ができた。

海土有木駅は小湊鐵道の18ある駅の一つである。



この上なく手作り感漂う駅名板。
ちなみに海士有木と書いて『あまありき』と読む。



駅舎内。
いかにもローカル線の駅といった感じ。
この日は日曜日だった為か駅員は居らず。
もっとも客もいないが。



時刻表。
平日に関しては『思ったより』本数が多い。
まあ一応、ここも東京100km圏内だし。
しかし、休日ともなると本数は一気に半分近く減る。



駅舎内には地元の人が撮ったと思われる写真が飾られている。
小湊鉄道は首都圏近くでありながら、長閑な田園風景や緑豊かな丘陵地帯を走る。
その為、手軽に『田舎の鉄道』の映像が撮れるロケ地として、テレビCM等で登場する事がある



閑散としたホーム。
ローカル線の寂しさ漂う海土有木駅だが、実はここがターミナル駅になる可能性もあったのだ。
ここから支線を分岐させ県都 千葉を目指そうという計画があったのだ。
昭和32年(1952年)に千葉〜海士有木の事業免許を取得。
が結局、小湊鐵道がこの路線を建設することなく、京成電鉄に免許を譲渡。
その後、ニュータウン開発による需要を当て込んだ第三セクター鉄道『千葉急行電鉄』として建設される事となる。

しかし、この千葉急行線も難産の鉄道で昭和52年(1977年)頃から工事が始まっておりながら、
土地高騰の波に飲まれ一向に建設が進まず10年以上放置プレイに晒される。
何とか平成4年(1992年)に開業にこぎつけるものの、今度はバブルがはじけて沿線が全く開発されず。
底なし沼の赤字にズブズブ沈んでいって、僅か2年で責務超過に陥る
平成10年(1998年)に大株主である京成に吸収される事によって事態を収束させた。

旧・千葉急行、現・京成千原線の終着駅である「ちはら台」から「海士有木」の事業免許は現在でも有効である。
が、とてもじゃないが京成も建設する気にはならないであろう。



かつての荷物取り扱いホーム。
おそらく、たまに保線車両が入るぐらいで殆ど使われていないのであろう



ポンと放置された踏み切りの一部。
この外にも旧・荷扱いホームの小屋の横には鉄道備品が散乱していた。



しばらく、駅前をうろついていたら列車がやってきた。
キハ200系車両。
小湊鐵道の旅客車両はすべてこの車両である。
ホームに着くと3,4人の客が降りてきた。
静かだった駅構内が少しばかり賑やか(?)になるが、
しばらくすると列車も下車客も去り、再び静けさが戻る。


さてここ数年、各地で地方鉄道の危機が叫ばれているが、ここ小湊鐵道もまたピンチに陥っている。
輸送実績を見ると平成5年ごろまで順調に営業実績を上げてきた同社が
その後ジワジワと売り上げが下降していき、
平成16年度には10年前の半分までに落ち込んでしまった。

いったい何故ここまで売り上げが下がったか?
バブルの崩壊の影響もあるが、実はもう一つ理由があると思われる。

営業実績が下降に落ちる平成5年の前年には何があったか?
このページの少し前の文を読んでみて欲しい。

そう、千葉急行の開通である。
いくら沿線開発が進んでいないと言えど、ちはら台駅周辺はそれなりに団地が立ち並んでいる。
このニュータウンの住人達は千葉急行開通するまでは、
バスや自転車に乗って一番近くにある小湊鐵道の駅まで通っていたと思われる。
だが現在は、家のすぐそばに駅があり
東京までダイレクトに運んでくれる京成千原線を利用しているはずだ。
大口のお得意さんを無くした小湊鐵道の営業利益が激減するのも当然である。

かつて、自社で千葉まで路線を延ばそうとしたハズの計画線の亡霊が
今、小湊鐵道を苦しめる事となってしまっている。


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